共通の体験

今回は沖縄では「大きな和」をテーマに研修をすることになっている。
その和を通じて、けじめと調和の本質を感じ、真にお互いを敬い愛するということの意味を深く学ぶことになる。

この学ぶということは、実践すると言うこと、実践して学んだことを振り返ることで自らの体験に昇華していくことが何よりも生身で心がある私たちの学ぶということの本懐になる。

世界には、色々な問題意識を持つ人たちがいる。

特に、保育の世界には、自らの子ども時代の体験を通じて、この世の中に何が必要なのかや、何がもっとも大切なのかを、自らの心に刻み、それを日々の保育の中で実践し活かしている人たちがいる。

今回もお互いで実践している共通の学びの原点は、子どもへ対する「無償の愛」というものをどのようにそれぞれで感じ、本気でそれを受容肯定してその意味を楽しむかなどの体験を用意し、それぞれが主体的に「ホスピタリティ」からその繋がりを感じて意味を共有する。

人は皆、同じ体験をすることで感じ方が異なることを知る。

そして、同じ時に、同じ場所で、同じものを見て、同じものを一緒に感じることで価値観のそれぞれの異なりや、その素晴らしさを認め合えるようになる。

理念や信条など、それぞれ形には見えないものをどのように可視化して共有するかはもちろん色々な方法があるけれど、まずは同じ体験をともに共感するなかでそれぞれが感じたことを出し合い、受け容れあい、学び合いをすることがもっとも本質的な共通の機会になる。

昨今、特に都市化された中での人々は公私ともに孤立し、すぐに独りよがりに偏り自分の考えでの認識をそのすべてが正しいと勘違いしたり、忙しくなり自分でいっぱいになり周りに見える景色を全否定したりしていると、人々の間にある形のないものを共有することが難しくなる。

それは例えば、信頼関係であったり、尊敬することであったり、譲り合うことであったり、豊かさや味わいであったり、もったいないやかけがえのないことなど、そういう当たり前のことが次第に離れてしまうこともある。

しかし、人間は脳で生きているのではなく”心”で生きているのだから、そういった感動や感激、感謝など、感じることを優先しなければ心を主とした人間らしい生き方をしているとは言い難くなる。

大切なことは、何よりも心を使って感じることがなければ本末転倒になる。

そしてその心を使った共通の体験こそが人と人との感動を生みだし、人間が幸せや生きる意味を真に感じる機会に繋がっていくと私は思う。

私たちは、子どもたちにどんな理念でどのような本物の環境を用意していくのか。
そして見守る中で、子どもたちがどのようなことを体験し学んでいくのか。

園では単に年間行事だからや決めごとだからなど、安易に取り組んではいけない。他にも、本物の繋がり、本物の環境、本物の体験、そのすべては、まず相手を本気で思いやるといった「おもてなし」の心を使わなければ真に本物を用意することはできないと私は思う。

そしてそのことで全ての人や物が本気で主体的に心を通じあわせ感じ合えるような豊かさ溢れる幸せの大きな和になり人々を自立させ真に幸せにしていけるということを忘れてはいけない。

これからもカグヤでは、そういった生きる意味を感じるような本物の環境を用意し共通の体験を増やしていきたいと思う。

沖縄の研修での数々の出会いに深く感謝します。