自分に矢印の本質

つい人は自分のことは棚に上げて、周囲や自分の外界を変えようと必死になる。自分ができないのは何か自分以外に問題があったからだと言い訳をしたりするものだ。もしくは、つい自分ができないのをわかってもらおうと言い訳するのもすべては自分が変わることが前提ではなく何か変われないことを認めてもらいたいというお願いだったりするものだ。自分が変わることはできればしたくないという逃げたい心から来ているものだ。

しかしこれは原理原則だけれど、自分が今を生きている以上、人は自分以外の人間を変えることは決してできない。どんなに受け容れられない事実があったによせ世界の一部としての自分が変わること以外で、自分の居る世界も周囲も変わることはない。

これは自然界でも同じことが言える、植物でも自分が周囲に良くしてもらいからと何度も何度も主張しても周囲は一向に動きはしない。まず自分が周囲のために具体的な行動を起こし自分が変化することで周囲は変わりだすものだ。

相手に望むのではなく、自分に望むことが大切で、そしてそれは自分自身が主体的に生きていることになる。望むことを自分が行動することで周囲もその望みがわかるのであり口先だけで周囲がそれを理解することもない。

よく人間の心を見つめてみるとなんでこんな目にや、どうしてできないのかを思うとき、いつまでも変わることができないのは自分の弱さを受け容れる謙虚さがないからでもある。人は素直さを忘れ傲慢になっていたらいつの日か必ずすべてを崩壊していくものだ。

今の社会でもそうだし、組織のトップもそう、また友人との付き合いにしてもすべては相手を思いやる心、つまり周囲を思いやる実践、自分が変わることで皆と共生し助け合っていくのが人の道であるのだと思う。

自分に矢印を向けるとは、相手がそこにいてはいけない。すべての物事や出来事は、すべて自分の問題からだとそのすべてを自分が呑みこむ強さを持つということだ。

言い訳をしないというのは、誰かのせいに自分の人生をしないことだ。自分の人生は自分で決めるということが、納得のいく人生を生きたということでもある。いろいろな人がいても、みんながそうやって生きていくことが自立ともいう。

強い決意で、自分が変わる、真剣に変わり続ける日々を生きることが青春でありたった一度限りの人生を謳歌しているということでもある。

子ども達にも、一生青春の感動の人生を歩んでほしい。そのためには何かのせいにしたり言い訳をするよりも、すべてを自分の心で受け容れ、そして一度出そうな言葉をグッと呑みこむ忍耐強さと寛容さの手本を示していきたい。

いつの時代も、先に自分が変わることで人は幸せの輪を広げていくのだと思いやりと自立を導いていきたいと願う。

私は自分のみ矢印を向けて謙虚に歩んでいきたい。