アンテナ

何でもそうだけれど、よくよく観察していると効果がないことをやっていたり独りよがりのことをやっているなと思うことがある。もちろん、意味のないものはないので時間が経てば自然にあるべきようへと帰っていくのだろうけれど何のためにやるのかなどを忘れてしまっていると分からなくなるのだろうと思う。

仕事などもそうだけれど、自分のことしか見えず自分が進める事だけしか考えられなくなっているような余裕やゆとりがない状態では人は盲目に必死になるだけだったり自分のやることだけを周囲に押し付けたりしていくようになる。

例えば、仕事をする際よくアンテナを張っている人は自分からいつも周囲を手伝い、皆のために自分はどう動くことが一番善い効果を発揮するのか、全体のために自分が何をやっているのかなど常に自分というものを客観的に見つめる余裕を持っている。

そうしているから、常に先手先手で準備を怠らず、困っている仲間がいれば先に声をかけ手伝いをし、誰よりも全体や仲間のために自分を使うようになっていく。

本当の仕事とは何か、それはみんなを手伝うことであると私は思う。

これは会社でもそうだけれど、今の社会や世界に何が起きているのかをよくアンテナを張りめぐらせ受信し、自分たちがどうあるべきかを考えているから調和するために自分たちを正しく活かしていくことができる。

それを単なる自分の思いばかりで器を満たし、周囲や相手を思いやることなどに器を広げていなければ単に自分勝手に自分のことばかり考えて遣りっぱなしていくことになる。

よく仕事でも、投げっぱなしでやりっぱなし、確認も何もしなくてもなんとなくすんでいるとなっているのは全体がよく見通せていないからであり、周囲の動きが受信できていないからでもある。

常に自らアンテナを立てておくということは、今のような人との繋がりを自分で断ち切っていくような社会ではとても大切な教えになるのではないかと思っている。

自分本位になるのも、自分さえよければとなるのも、繋がりを切らされてただ必死に働かされるというような経済優先の社会が運んだ副産物。これを取り除くのも子どもの将来のためにも大切なミッションの一つだ。

最後に、アンテナとはではどういう心境であるのか。これは私は師もそうだと思うのだけれど明鏡止水の静かで穏やかですべての今をあるがままに受け容れ自然に溶け込むようなものだと思っている。

鋭敏で繊細な感覚がなければ、本当の意味ですべてを受信することはできはしない。大切なことは、静かであることをであり安んじていることでもある。それはブレナイということであろうとも思う。

常に人生は道場。

このカグヤでの道場を、あるがままの境地で楽しんでいきたい。