仲間と夢

今の時代は、表面上の付き合いを重んじるばかりに本当の仲間というものを求めようとしないように思います。

または自分のことを優先してしまい、夢を小さくしてしまい自分一人ではできないようなことを誰かと取り組むということを避けてしまう傾向があるように思います。

一人でできそうなことを夢にしても、一人ではできないことばかりだから他人の力を頼らなければなりません。しかしその時、信じていたものが失ったり傷ついたりしてどうしても先に諦めてしまうということがあるように思います。

そうやって何度も信頼と裏切りを体験しながら、本当の絆を深めていくのもまた仲間であろうと思います。言い換えれば、仲間になっていくということであるようにも思うのです。苦しい体験や艱難辛苦を共にしていくことで、耐え忍び、心を通じ合わせていくのです。

そうやってひとつひとつを乗り越えながら絆は深まっていくというような感じなのです。

無難に互いの夢を聴かないで表面上だけを意識して関係をつくることで、そういうものを避けたいと思うようになったのだと思います。しかし、人生の中で真の仲間や心の友と出会えるのは互いに夢を共有しその夢から逃げずに関係を乗り越えて互いに諦めないことのようにも思うのです。

夢は別に同じものである必要はないのですが、夢は同じくらい強いものでなければなりません。その夢に向かって共にする時間で、どこまで互いの夢に近づけられたか、そこに仲間の意義があるようにも思うのです。

当然仲間との旅は、最期まで共にできるかどうかはわかりません。論語の「与に共に学ぶべし、未だ与に道を適くべからず。与に道を適くべし、未だ与に立つべからず。与に立つべし、未だ与に権るべからず」とあるように、共にできるといってもどこまで共にするかはその人の覚悟にもよるものだからです。

夢を諦めないということは、仲間を諦めないということであろうと思います。

いつの日か、その夢に到達するときその夢の仲間にも到達しているように思います。
自分のことよりも夢を共有するから仲間はできるように思います。

今の時代は仕事が夢になっているかどうかは大切なモノサシではないかと思います。
その仕事に夢を語れてこそ、仲間の存在を実感することのように思います。

人生は唯一無二なのだから、数々の仲間との思い出を創っていきたいと思います。
夢に向かって信を厚くしていきたいと思います。