変革を味わう

今の私たちが観ているものはむかしの人たちが夢見た世界の一つともいえます。どのような未来が訪れるかを意識し、人間は大きな世界を想像してきました。どの想念がもっとも大きいか、それで時代は創られます。人間の意識が世界を創りあげているともいえます、そこから今、バーチャルリアリティがIT分野で伸びていますがまさにこれも仮想ではなく本来の人間の意識が想像する世界をデジタルの中で実現したものです。

デジタルの世界というのは、人間の想念の世界です。まるでゲームみたいだと思っていたのも懐かしく、今ではゲームの方が本当の世界に取ってかわる勢いです。何らかのプログラムだけが動いているのか、プログラムの本体を突き止めようとしているのか、どちらにしても人間の想念はますますデジタルではっきりしてきます。

そのとき、集合意識はどこに向かうのか、最終的になぜ今、私たちはここにいるのかなどもわかるのでしょう。しかしわかることがゴールであれば正解だけを求めていくのですが、実際にはわかることよりも味わうことの方が仕合せですから必ずバランスを保つようなことが発生してくるように思います。

私たちは意識がありますが、同時に身体を持っています。この両輪のバランスは普遍的であり、身体から離れてしまえば意識だけは進化できるのでしょうがそんな簡単にはいきません。お互いに影響しあい、私たちはいのちを保ちますからどちらかが進化すればもう一方も進化するものです。現代は意識が大変革していきますから、同時に身体の感覚も変革が進みます。

最先端と最も古いものがなぜ一致するのか、それはこの意識と身体の関係と似ているからです。

私は今、ブロックチェーンやVRなど最先端のテクノロジーにも触れながら仙人や徳などに興味をもって融合させていますがこれも変革上、必要不可欠だからです。

この時代の変革は、あらゆるものを原点回帰しまた芸術、哲学すべて混淆させていくでしょう。面白い時代に入ったなと感動することばかりです。

ここから色々と面白いことを顕現させ、結の仲間と変革を味わっていきたいと思います。

変化の正体

私たちの日常は同じ日々、同じものがあるように感じられていますが実際には同じというものは一つもありません。同じであるものを探しても、いくら同じ型で大量生産したとしても同じではないのです。時間もたてば、そこで使われている材料やタイミングも異なります。そしてそれに触れた時点で、また同じものではなくなります。

ミクロでみても、人間や生き物も細胞一つ一つは常に入れ替わっていきます。体にいる菌においても、あらゆる組み合わせで一緒に生きています。同じということはありません。またマクロでみると、私たちの地球も時速1,600kmで自転しながら、太陽の周りを時速10万kmで公転しています。しかも太陽系は銀河系の軌道を時速85万kmで公転し、銀河系は膨張する宇宙とともに秒速630km(時速約216万km)の速度で移動しているともいわれます。

止まっていると思っている時間や場所であっても、私たちは猛スピードの中で遠くへと運ばれている最中ということで同じ時、同じ場所はないのです。常に一期一会であり、二度と同じ今はないともいえます。

しかし人間は、妄想というか概念の中に同じものを無理やり構築していきます。同じではないことにクレームを出したり、いつまでも同じ状態が続くことが当たり前だと思ってしまうものです。健康も、いつまでも元気だと錯覚していますし空気や太陽などもいつまでもあるものと思うものです。

それが時として災害や病気、死に直面した時などにバグが発生します。こんなはずではないや、こんなことが起きるはずはないと思うのです。しかし、よく考えてみると同じような日々が送れることが奇跡そのものであり、同じであると思えることが当たり前ではない有難いことであることがわかります。

同じものはないからこそ、同じようなものに感謝の気持ちが湧いてきます。

この今も、今日も、同じようにあることが如何に奇跡であるか。そういうものに気づく感性は、変化に気づく感性ともいえます。変化し続けているものに合わせて、自分も変化させ続ける。そうやって万物は全体と調和し続けています。先ほどのミクロであれば、体の変化に意識を合わせていくこと。そしてマクロであれば銀河や宇宙の動きそのものに意識を合わせていくこと。

人間は自分の都合で変化をやめるとき、知恵から離れます。知識というものは、意識の固定に役立つのであり知恵の活用にはほとんど役に立ちません。私たちの感覚というのは、それだけ変化に適応するように備わっているということです。

この世の中は、感覚といのちが構成されているもので本来は成り立っています。そういういのちの繋がりやいのちの変化にいかに感覚を研ぎ澄ませていくか。これからの時代、人間が社会を切り取って同じであると洗脳する意識のなかで本来の変化に適応する力がそれぞれに求められるはずです。

こういう時代だからこそ、先人が研ぎ澄ませてきた感覚を大切にしていく必要を私は感じます。子どもたちにも感覚の大切さに気付いて、それを磨き直していくための環境をととのえていきたいと思います。

シンクロの知恵

人は、仲間と一緒に協力するときにシンクロするものです。そのシンクロとは、一緒一体になっているということです。一つが全体になり、全体が人格を持つということでもあります。会社というものも同じく、一つの法人格というものを持っています。そこで働いている人たちが、どのような人物たちであるか。その会社の一人一人の人格が集まって会社というものの人格がにじみ出てくるものです。

いい会社というのは、文字通りいい人たちがいる会社です。そのいい人たちというのは、崇高な理念を持ち、日々に自己との対話と研鑽をし、ともに支えあい、助け合い、思いやりそれが会社の文化にまで昇華されている存在です。

そういう法人で働けるということは仕合せなことです。と同時に、シンクロしていくためにみんなで精進していく一人になるということでもあります。人間はそれぞれに持ち味がありますからその得意を伸ばし、短所を補い合いながら折り合いをつけていきます。

いつもある人だけが前線で活躍しているのではなく、縁の下の力持ちの存在もあってはじめてシンクロします。このシンクロという言葉は、シンクロとは英語 synchronize 同期する、タイミングをあわせる、同時に起こる」 に由来する語から来ています。

似た言葉には、阿吽の呼吸、以心伝心、共鳴、呼応などがあります。これは気持ちを合わせたり、心を通じ合わせたり、お互いに共感同感したり、よい組み合わせを合致させたり、協力しあうときに使われる言葉です。

スポーツでも、会社経営でも、人間が何かを誰かを集まって行うときにはこの協力が他力を引き出し、幸運を呼び寄せる知恵になります。太古のむかしから人類は、このような知恵を持ち、その知恵を活かしてきたからここまで生き延びてこれたように思います。

子どもたちが憧れる生き方、お手本になれるような取り組みは、日々の過ごし方、働き方から見つめていけるものです。引き続き、大切なものを優先し、いい会社に近づけていきたいと思います。

自分らしく自然体で場を調える

自分らしく生きるというのは、自分の心の声に従って生きていくことに似ています。今は心の声や魂などというと、非科学的なものや宗教とかいって嫌いな人もいますが実際には自分というものとの対話は生まれてから死ぬまでずっと行われるものですからそれを否定するのは難しいものです。

この自己との対話を続けていくと、現実と精神世界のような二元的な話になることがあります。しかし実際には、自分のあるがままや自然体でいるというのはある意味では心のままであり魂のままであるから現実も精神世界も一致したありのままの姿に近くなるということでしょう。

そういう意味では、自然界のすべての生き物たち、特に人工的に人間が関与していないいのちたちは自然体そのものであり霊的そのものといえます。

朝になれば、鶯が綺麗な声で鳴いています。そして朝陽をあびてキラキラと光輝いています。これはまさに霊的なものです。ほかにも、雨上がりのあらゆる植物たちが朝露と光で眩く揺らぎます。これもまた自然体であり魂のままあるがままです。

子どもたちも生まれたばかりの赤ちゃんや幼児期のころまでは、自然体で魂のままです。三つ子の魂とも呼んでいるものです。その自然体である子どもたちが、安心して自己との対話ができるように見守ることは、自然の中で循環する幼いいのちたちが自然体であれるように余計なことをせずに環境を調えることに似ています。

本来、人類は万物の霊長と呼ばれるように自然体であるいのちを見守る役割を持っていたように思います。それは上下の関係ではなく、知識や知恵を持つからこそあえて自然のままでそれが壊れないようにと自分たちを律して自然を調和するように努めてきました。

特に縄文期のような時代には、それが果たされ長い年月、地球の調和や平和が保たれていのちが自然体で謳歌していたように思います。今の時代は、自己からも離れ、迷走するばかりです。

大事なことを忘れない、そして忘れていたものを思い出すのは、目覚めに似ています。魂の目覚めともいうのかもしれませんが、自然体ということがどういうことかを気づくところからがはじまりかもしれません。

子どもたちが安心して暮らしていける世の中になるよう、場を調えていきたいと思います。

神の山

英彦山を開山した人物のことを深めていると、仏教との深いかかわりがわかってきます。もともとの英彦山のはじまりは中国北魏僧の善正と忍辱(俗称は藤原恒雄)が開いたといわれます。この縁起の起源は「彦山流記」に記載され同書は彦山に関する最も古い書籍で奥書に「建保元年癸酉(一二一三)七月八日九州肥前国小城郡牛尾山神宮寺法印権大僧都谷口坊慶舜」とあるそうです。そして「彦山縁起」といって元亀三年(一五七二)宗賢坊祗暁透の「鎮西彦山縁起」と、末尾に「元禄甲戌(七年、一六九四)夏四月十八日天台沙門孤嶽彦麓湧泉庵に撰す」と記されているそうです。「豊之前州彦山縁起」とあります。

この善正という人物は中国北魏の孝武帝の子で、孝武帝が宇文泰に殺される3年前に日本に渡来し、531年、豊後国日田郡の狩人の藤原恒雄と出会います。藤原恒雄は、善正に殺生戒をおしえられ、ふたりで英彦山をひらいたとされています。

具体的な話はウィキペディアを参照するとこう記されます。

「中国北魏僧の善正は、普泰の年に大宰府に来て仏法をひろめようとしたが果たさず、光が日子山にさすのを見て、山中の石窟にこもる。豊後国日田郡の藤原恒雄は、よく猟をしており、獣を追って山に入ったとき、岩窟に座している善正を見て不思議に思い、尋ねるが言葉が通じず、善正も藤原恒雄に殺生の罪を説くが通じない。藤原恒雄は猟を続けるが、善正の姿を見ているうちに信心の気持ちが起こったのか、善正の窟のそばに小屋を作って住んだ。ある日、藤原恒雄は猟に出て一匹の白シカを見つけ、それが瑞獣であることを知らずに弓で射た。シカは倒れたが、三羽のタカが飛来し、一羽が嘴で矢を引き抜き、一羽が羽で傷口の血をぬぐい、一羽がヒノキの葉を水にひたしてシカにふくませた。すると、シカは蘇生した。藤原恒雄は神の仕業と悟り、弓矢を捨て、家財をなげうって祠を建て、善正が抱いて来た異国の仏様を安置して祀り、自らは善正の弟子となる。これが日本における僧のはじめである。」

日本における僧のはじまりというのを知っている人も少ないように思います。実際に公に国家間の取引のように入ってきた仏教ではなく、私的に伝道された仏教があったということです。これは政治的に宗教を使うものではなく、志から伝道しようとした人たちがいたということの証にもなります。僧のはじまりというのは、ある意味で私利私欲なく純粋な思いを生きた人であったのが本質的なようにも思います。

531年になぜ英彦山に入ったのか、そして玉屋窟で修業をしたのか。言葉も通じず、身分の高い身ながら大変な旅を経て異国で生涯を閉じることになったのか。色々と考察すると、尋常ではない定めを感じます。

私たちははじまりを知ることで今と終わりを知ることができます。はじまりがどのようなものであったか、それによって今の英彦山の真の歴史にも親しくなります。今でもその志が生きているからこそ、神の山として大切に拝まれています。

日本のはじまりの霊山で仏教を伝来した功績は偉大なものです。

なぜ神の山と呼ばれるのか、そこには太古のむかしから日本に深く根付いていた信仰と混淆しからでしょう。神仏混淆のはじまりの地としてもこの英彦山はただならぬ場所であることがわかります。

これから少しずつ明らかにしていきたいと思います。

観音様の生き方

観音様を深めていますが、観音様の真言というものがあります。この「真言」とは古代インド語のサンスクリット語でマントラ(Mantra)と言われる言葉のことで「真実の言葉、秘密の言葉」という意味です。空海の般若心経秘鍵によれば「真言は不思議なり。観誦すれば無明を除く、一字に千理を含み、即身に法如を証す」記されます。私の意訳ですが、真言はとても不思議なものである。この真言をご本尊を深く実観するように読んでいると知らず知らずに目が覚め、一つの字の中に無限の理を感じ、直ちにそのものと一体になり悟ることができるという具合でしょうか。

この観音様の本来の名前はサンスクリット語では、「アヴァローキテーシュヴァラ」(avalokiteshvara)と記されます。もともと般若心経などを翻訳した鳩摩羅什はこれを「観世音菩薩」と訳し、その観世音菩薩を略して観音菩薩と呼ばれるようになりました。この鳩摩羅什(Kumārajīva)という人物のすごさは、母国語がインドでも中国でもなくウイグルの地方の言葉が母国語でしたがその両方の言語の意味を深く理解し、それを見事な漢訳の言葉に磨き上げたことです。これは仏教の真意を深く理解し、それを透徹させてシンプルになっているからこそ顕れた言葉です。これは意味を変えないままに言葉と事実の折り合いをつけその中庸のまま中心が本当はどういう意味かという真意を的確に理解しているからこそできたものです。これによって仏の道に入りやすくなったということに厚い徳を感じます。

今でも私たちはそのころに漢訳されたお経を読んで生活しています。西暦400年ごろから今でも変わらずそれが普遍的に読み継がれるのはそれだけその言葉が磨かれ本質的であるということの証明でもあります。そこから約200年後、三蔵法師で有名な玄奘三蔵はこの観音経の真言を「ava(遍く)+lokita(見る)+īśvara(自在な人)」とし観自在菩薩と訳します。つまり鳩摩羅什による旧訳では観世音菩薩とし、玄奘三蔵の新訳では観自在菩薩となりました。

それを私の観音経の解釈では「円転自在に物事の観方を福に循環する徳力がある」と現代に訳します。つまり、自分の物事の観方を変えて、すべてのことを福に転換できるほどの素直さがある仏ということです。これは観直菩薩でもいいし、調音菩薩でもいい、観福菩薩でも、そう考えて訳している中で当時最もその人が深く理解したものを言葉にしたのでしょう。大事なのは、その意味を味わい深く理解し自分のものにしていくということが親しむことであるしそのものに近づいていくことのようにも思います。

最初の観音様の真言に戻れば、観音菩薩の真言は「オン アロリキャ ソワカ」は「Om arolik svaha」といいます。これもまた私が勝手に現代語に意訳してみるとこうなります。

「おん」=私のいのちそのものが

「あろりきゃ」=穢れが祓われ清らかさに目が覚め、物事の観方が福となることを

「そわか」=心からいのります

『私のいのちそのものが穢れが祓われ清らかさに目が覚め、物事の観方が福となることを心からいのります。』

とにかく「善く澄ます」ことということです。実際にその言葉の意味をどのように訳するかは、その人の生き方によって決まります。その人がどのような生き方を人生でするかはその人次第です。それは自分でしか獲得できませんし、他人にはどうにもできないものです。しかし、先人である観音様がどのように生きたのか、そしてどのような知恵があって自ら、或いは周囲の人々を導き救ってきたか、それは今もお手本にできるのです。

私たちが目指したお手本の生き方に観音様がとても参考になったというのは、私たちのルーツ「やまと心」が何を最も大事にしてきたのかということの余韻でもあります。

時代が変わっても、響いて伝わってくる本質が失われないように生き方で伝承していきたいと思います。

 

 

観音菩薩と蓮の生き方

最近、聖観世音菩薩や千手観音菩薩とのご縁が深まりいろいろと思いを廻らせています。もともと、私の家は代々、十一面観音菩薩に守護していただいているもので長谷寺をはじめ、気が付くと観音様をお祀りする寺院に参拝することが多くありました。また八十八ケ所霊場が故郷にあり、幼いときから観音菩薩を拝む機会がとても多かったように思います。

大人になって鞍馬寺でご指導いただいているときも、千手観音菩薩を拝んでおりました。この観音菩薩とのつながりやご縁は気が付くとずいぶん遠いむかしから今も私は結んでいることがわかります。

音は聞くものと思い込んでいますが敢えて音は観るものであるとしています。世の中の音というのは、音色というようにあらゆる色が含まれています。そしてそこには感情や心があります。人の心の模様をその時々に適して最も相応しい手を差し出せるとき、人は音のもつ不思議な調和の徳に気づくものです。

音を観てあらゆるものに変化するとされる観音菩薩は三十三観音をはじめ、あらゆる姿として描かれています。あらゆる姿に変化していく観音様ですからその中心として聖観世音菩薩として変化の前の姿を表現されます。その聖観世音菩薩はよく「未敷蓮華」(みぶれんげ=蓮のつぼみ)を持つ姿で表されます。

もともとこの蓮華は、仏教の教えや悟りに近いイメージがあるとして中国から日本に伝来したといわれます。蓮華は泥の深くに根を伸ばし、成長した後も泥に汚れることなく綺麗な花を咲かせます。そこから、穢れた環境のなかでも清々しく美しい純粋な花を咲かせようとたとえたのでしょう。菅原道真公の梅の花にも同じものを感じます。蓮は仏教誕生の地であるインドの国花ですから、仏教には古くから特に深い関係があったのでしょう。

先ほどの聖観世音菩薩がもつ未開敷蓮華は蓮のつぼみで悟りを開けば開敷蓮華(かいふれんげ)と呼びます。またそのためには5つの徳を積むことを蓮華で語られます。

私の解釈ですが、一つは、「淤泥不染の徳(おでいふぜんのとく)。」どんなに濁って穢れた環境下であっても純度高く美しい花を咲かせること。二つ目は、「一茎一花の徳(いっけいいっかのとく)。」自らの天命を信じて己にしかない唯一無二の道を歩んでいくこと。「三つ目は、花果同時の徳(かかどうじのとく)。」これは花と種が同時に実ることで、常に循環や縦軸を持っていること。4つ目は、「一花多果の徳(いっかたかのとく)。」一つの花が咲くことで周囲の豊かさや喜びの種をたくさんつけていくこと。自他の喜びを徳にし、その花が人々の仕合せに結ばれるということです。そして五つ目は、「中虚外直の徳(ちゅうこげちょくのとく)。」ただひたすらに真摯に無我の真心で歩み続けるという生き方です。

聖観世音菩薩とはそのような人物であったのだろうと思います。私たちは自然の生き物やいのち、その生き方から深く尊敬をし自らのいのちも同じように充実させていきたいと願い、その植物を尊敬することで憧れたのかもしれません。

純粋な心で純度を磨いて自らの魂を高め徳を積む。

先人の遺徳を思いながら、子どもたちのために道を清々しく歩んでいきたいと思います。

結い直し

明治のころの有名な運動に廃仏毀釈運動というものがあります。この廃仏毀釈とは仏教関連の経典や仏像などを破壊し、仏教を排斥することを目的とした運動のことです。この「廃仏」は仏教に関係するものを破壊することを意味し、そして「毀釈」は仏教の教義を否定することです。この釈とはお釈迦のことでその教えを棄却するという意味を込め、廃仏棄釈とも表記するものです。

それまでの日本は神仏習合と神仏混淆という文化の歴史が続いていました。具体的には「神仏習合」は神棚と仏壇と一緒にお祀りして両方を祈るという風習。もう一つの「神仏混淆」は神域や仏域が分けられている聖域に神域には石仏、仏域には石神というのを混ぜ合わせてお祈りするという仕組みです。

つまり、神仏習合は別々のものを一緒に分け隔てなく祈るというものは多元的に八百万の神々だとしてどれも尊重しようという考え方。日本の伝統行事なども、あらゆる宗教や宗派のものでも大切に行われているのに似ています。しかし神仏混淆の方は、異なるものが区別なく入りまじるという考え方。これは混然一体になっているというもので、違いや区別すらもなく根源的なもの、まるで元のあるものに回帰するかのような中庸や中心に近いものです。

私が取り組んでいる甦生もまたこの混淆の方が近く、温故知新や一期一会のように今、此処に存在するものになってしまうというものです。

話を戻せば、明治のころは西洋に対抗するために江戸時代に強大になった仏教の勢力を削ぎ、神道を中心として国家を急ピッチでまとめようとしました。その仕組みは一つの宗教を国教とする西洋諸国の方法を真似て神道中心の体制づくりによって西洋諸国に肩を並べようとしました。それに日本にキリスト教など他の思想や価値観が入り込むのを避けようとしたとのいわれます。江戸時代の仕組みを壊すもっとも効果的でわかりやすかったものがこの廃仏毀釈だったのでしょう。今までのお寺の既得権益に怒っていた民衆や神官がこぞって運動してあっという間に仏教を否定していきました。同じころに神仏分離令も出て、神社から仏教的な要素を締め出し、寺の土地は没収され、神社にいる仏教僧は還俗(一般人に戻る)か神官になるか選ばせるというものですがこれが拡大解釈されてさらに運動は激化しました。

政府の思惑は失敗して、結果的にこのことで日本の伝統や歴史はことごとく壊されました。修験道やそのほかの民間信仰もまた一切を禁止されました。その後は、フェノロサや岡倉天心、そのほかの方々の活動があり信教の自由が保障されて復興していきます。

その際に、新たな宗教がたくさんうまれ信仰をそれぞれで甦生させていこうとする活動がはじまっていきます。しかし、戦後に西洋化が進みそれまでの日本の生活文化が激変して今に至っています。

この150年の間、日本人は何が起きたのかをあまり関心を持ちません。しかし歴史というのは本来は、途切れるものではなく常に縦軸の糸を横軸の糸で編み込んで存在しているものです。

見失っているものを甦生するには、もう一度、何が起きたのかを直視してそこから結い直す必要があると私は思います。

本来の姿は何を目指したのか、よく吟味し、自分の役割を果たしていきたいと思います。

本来の三方よし

昨日は、むかしの農的暮らしの伝承をする方と一緒に筍を山に掘りにいきました。もともと果樹園のあった場所で土がよく、良質な筍がたくさん取れるということでいつもみんなで取りにきているそうでした。ここの竹は孟宗竹で、もとは中国江南地方原産ものを日本に輸入して江戸時代初期に広まったといわれます。

見た目も大きく、茶色の革にはうぶ毛が生えているのが特徴です。この孟宗竹は特にアクが強いそうで下茹でするアク抜きが必要です。現在、日本にある竹の中でも最大級の竹で、高さ25mにまで成長するといいます。

この孟宗竹は鮮度が命で収穫後は時間が経つにつれてえぐみ(あく)が増えていくといいます。また食感もかたくなるのですぐに下処理(アク抜き)が必要です。

アク抜きの方法は、以前は米ぬかやトウガラシをということでしたが昨日教わった方法は、井戸水で茹ででそのまま冷えるまで待つだけでいいとのことでした。それを水洗いしたらすぐに食べられるとのこと。実際に茹でて食べてみると、そのままの味わいがあり仕合せな気持ちになりました。

すぐに家族や知人に食べてもらうとおいしいと絶賛でした。

この孟宗竹は、成長すると海の海苔養殖の方が伐採にきて活用していた時代もあったそうです。山と海はつながっていますから、本来は山と海をつなげて循環する仕組みがあったころは見事に食材や暮らしが知恵で結ばれていました。

またこの筍も塩漬けや乾燥させたりして保存食になったり、時期がずれた竹を植えれば年中食べられるものもあったそうです。民族工芸品につかわれたり、燃料になったり、竹はもっともむかしの人たちの支えになったものであったのは間違いありません。

今の時代は、プラスチックに置き換えられましたが問題はそれでは自然のいのちや恵みが喜ぶような循環することがないということです。

最近の時代は、お金や資本主義が優先され目先の損得ばかりで個人の欲が優先されるようになっていきました。しかし、本来は子孫のため、そして自然のため、そして真の豊かさや幸福さのためという三方よしがあったはずです。

現代の三方よしは、人間都合の三方よしばかりで本来の三方よしとは程遠いもののように思います。

色々と時代のこともありますが、本来の三方よしに回帰する時機だとも私は思います。日々の暮らしフルネスから新たな生き方を提案していきたいと思います。

謙虚さ

時間の経過を観察していると様々なことがわかってきます。自然界ではありのままに移るので道理に従っていることが自明します。人間関係においては、どのような思い込みであったのかということも次第に明らかになってきます。人間はそれぞれの観念や思い込み、あるいは自分の価値観で相手を見ますから都合よく認識するものです。

思い込みが発生するのは、自分の感情が大きく影響するものです。ありのままのことをあるがままに受け入れることは素直な感情です。しかしそこに自分の過去のトラウマや、こうなってほしいという願望などが入ってくると現実を歪めてしまうものです。

特に執着などがあれば、その執着ゆえに事実も受け入れられず様々な問題をつくりだしていきます。執着を手放すといってもそう簡単には執着はなくなりません。思い込みもまたこだわりや思いの強さでもあったりするので、善悪で考えられるものでもありません。

しかし真に豊かであったり、真の喜びのさなかに入ればそれぞれの存在を丸ごと味わうといういのちの姿になっていくとき執着も思い込みも中和されていくものです。

真心を盡したり、人を大切にしたり、ご縁を丁寧に結んだりしていく人は、様々なことを調えていくことができるように思います。しかし、強い思いで何かに取り組むときはどうしても心がほかのことに使われてしまいそれができないものです。

謙虚さというものは、そういう時に磨かれるもののように思います。自分の力でやっているけれど、それは大きな力をいただいてさせていただいているという感覚。主語を自分にせずに、主体を全体にして自分もその中の一部になるような感覚。

そういう無我というか、真我の境地のなかにこそ思い込みを超えたやさしさや思いやりがあるように思います。

人生は色々な方法でその境地にアプローチできるように思います。日々の学びを磨き、自分らしく自分のままにいのちを歩んでいきたいと思います。