今を共に

私の座右の銘は「一期一会」です。そういえばいつから一期一会を座右にしたのかと思い出そうとしても思い出せません。むかしから奇蹟を観るのが好きで、日々を新たに生きることが喜びでした。マンネリ化するのが嫌いで、自分の感性や感覚、直観を頼りに歩いていくことに興味がありました。それだけ生まれてきてからずっと奇蹟ばかりを観てきた人生だったように思います。

そのためか人との出会いにしても今を生きていてもこれがどうなっていくのかと意味を感じるようになっていきました。気が付くと、誰と出会っても、何をしていても、その意味から感じたままに行動していくようになっていました。行き当たりばったりで自然のあるがままにと歩んでいくうちに、かんながらの道という言葉にも出会いました。そこでこのブログのタイトルにすることにしました。

またもう一つの座右に、「身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ」というものがあります。これもよく考えてみると、一期一会とその境地はとても似ているようにも思います。この座右の御蔭様で自分のこの世での役分、役割を楽しみながら運命と全体最適を楽しむような人生になっています。この座右の銘とはもともと、座右は身近に置いていること、そして銘は刻むという意味です。いつも忘れない格言や自戒みたいなものでしょうか。

これらの自分の座右の銘から自己分析をすると自分の人生で忘れたくないものだったのでしょう。一期一会に対しては当たり前になって真心を忘れてしまうことや、身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれの方は、自分に執着して身を守り沈んでしまうのでしょう。内省していないとすぐに通り過ぎて失念してしまいます。まさに今を生ききるというのは、今に集中するということですがこの今というのはわかることはありません。わからないからこそ今にいるということになります。

だからこそ一期一会になったのです。どのような結末や結果になるのかがわからないからこそ、どういう状況下でも自分の役割を果たすためにも真心のままでいるということになり、そして身を捨ててこその方もその時々に迷わずにやりきるといった安心の境地で今に没入しようとしたのでしょう。

悟りの境地とか色々といわれますが結局は、それぞれの人が目指してみて体感した同じことを別の言い方で表現しているだけであるように思います。今朝も澄んだ水気の多い朝陽を浴びて、透明な光を感じ、ゆらゆらと音や水の揺らぎと共に静かに呼吸を調える。わかるものではなく、今のままでにいるという感覚です。全てを丸ごと味わっていく人生というのは、一度きりの一生においては何よりも意味深いものだと感じます。

子どもたちや子孫たちの今を共に生きていきたいと思います。