法螺貝祭り

昨日は、不老不死や甦生について法螺貝を通して対談を深める機会がありました。私たちの郷里には、鷹伝説や鮭伝説などの話もあります。熊鷹は、老いては嘴や羽を抜き取りそこから甦生してさらに長寿になるという話。鮭神社には、鮭が海から戻ってきては卵を産んでそれが勾玉になったという話。他にも蛇が脱皮をして生まれ変わる話など、古代の原初の信仰が甦生であったことを再確認して学び直しました。

そもそも私たちのこの心身もまた先祖の甦生に由るものです。一番最初に誕生した人間が、夫婦和合し子どもができます。いつかは老いてはこの世を去りますが、その前に新しい肉体を持って精神を含めて継承されていきます。個人主義でいえば、別の人になったという認識ですがよく観ると生まれ変わって甦生したともいえます。

身近にいる鳥も虫も、植物たちも1000年も1万年もそのままの姿で身近に存在しています。つまりは、老いて朽ちても次に新しく誕生し続けているからその存在を確認することができるのです。

そう考えたとき、長生きすること長寿であることはそれだけのご縁をたくさん結んだ。つまり関係性の中で見守られて生き延びたという一つの結果でもあります。

過去に不老不死になることを望み行動した人に始皇帝や漢の武帝、ギルガメシュ王やエジプトのファラオたちがいます。権力や支配を少しでも長くと思ったのでしょう。それは現代の権力者も変わりません。

しかし本来の不老不死には、ただ死なないや若いままということがよいわけでもありません。どのような状態が続いてほしいかという、不老不死を求める思想があるはずです。

沖縄や新潟などでは不老長寿を祝う言葉やお祭りがたくさんあります。心がほどけてほびのびと暢気に過ごし、家族が増えてみんなにお祝いしてもらえる歳を重ねていく喜びです。

先ほどの権力者の不老不死は何か歪な感情を覚えますが、地球や太陽や月、そして膨大ないのちの連鎖や循環のなかで家族や友人たち、素晴らしい環境に恵まれて生きていることに感謝するという不老不死で考えればそれは幸福の象徴であることも氣づきます。

法螺貝でいのる不老長寿は、みんなで喜びや仕合せを分け合うものでありたいと改めて感じます。これから英彦山で不老園と共に法螺貝の祭りを新たに起新していきたいと感じた一日になりました。

ご縁や示唆に深く感謝しています。

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