英彦山にいて色々と歴史を深めていると不老不死というキーワードによく出会います。また宿坊に遺る文献から、不老園という薬も甦生したことから余計に仙人や不老長寿などのことを深めることになりました。
そのご縁で、今日は福岡県芦屋町で不老不死と法螺貝についての対談に呼ばれるという変わった機会をいただいています。この芦屋の山鹿という地域は、法螺貝伝承の場所で今でも神社をはじめ地域で語り継がれています。
お話はこのような感じです。
「江戸時代の中ごろ天明二年、芦屋浦の男が伊万里焼を仕入れて稲荷丸という船に積み奥州まで売りさばきにいきました。 ある日、津軽の山中で道に迷い小川のほとりで洗濯をしていた美しい女に一夜の宿を頼みました。 筑前芦屋のものだと名乗りますと女はわたしも筑前のものです、と言って懐かしがり、男を大きな構えの自宅に案内しました。下男下女が四、五人いて主人は旅行中でした。 その夜、女は食膳をととのえ酒を出し男をもてなしながら身の上話をしました。 「わたしは筑前山鹿のそばの庄ノ浦の海女の子です。わたしが庄ノ浦にいたころ、山鹿秀遠(やまがひでとう)さまが安徳天皇さまをお迎えして山鹿の東に仮りの御所をかまえられました。わたしは磯のものをとって、時おり御所にさしあげていました。」 天明二年からというと六百年も前の話です。男は驚きました。 女がいいますには、自分が病気をしたときに子どもがとってきた大きなほら貝を食べたところ、病気はすぐ治り、それから年をとらなくなりました。 不老不死の薬だったのです。やがて夫が年老いて死に子ども・孫・曾孫(ひまご)と死んでいきました。 家族と死別した女は豊前・豊後・四国から山陰へと旅に出て農家の主人の妻になりましたが年をとらぬので化生(けしょう)の者と怪しまれ、そこを離れて都へ出ました。 それから六百年、各地を巡ってこの津軽にきて今の主人の妻になりました。 しかし主人は年をとるのに自分はいつまでも若いので、ここにもおれなくなるのではないか、行く末が心配だと女はいうのでした。 そして、「ほら貝の殻は、庄ノ浦を出るとき納めてきたから帰ったらそれを探して私の子孫に私の話を伝えてほしい。」と付け加えました。 男は芦屋に帰って庄ノ浦の祠でほら貝の殻を見つけ、子孫の伝次郎に会って女との約束をはたしたということです。」
法螺貝の肉を食べて不老不死になったという話、400年近く生きたということでしょうか。よく日本の民話の中には似たもので「八百比丘尼(やおびくに)伝説」があります。この方は人魚の肉を食べてから800歳まで生きたとされています。
むかしから法螺貝と不老不死は深い関係があります。
また英彦山には般若窟というものがあります。ここは英彦山最古の窟で、英彦山修験道の「中興の祖」といわれている法蓮上人の修行窟で窟内には神池があって不老長寿の霊水がわいているといわれていますし湧き水は日本三代霊水の一つです。
それに不老園という英彦山の生薬は、歴史書にも出てきます。不老長寿の妙薬とされ明治以前まではそれで山伏たちは生計を立てていたこともあります。
不老とは何か、改めて今回の体験から学び直してみたいと思います。
