自然農の高菜が開花の時季を迎えています。背丈ほどある菜の花が一斉に畑を黄色に変えてとてもきれいです。種取りをする御蔭で私は花を楽しみ、種まで見守ることができます。
ほとんどの農家は種取りまでしていません。種は購入するものになっているからです。種は購入した方が、すぐに畑が耕せて別の季節の種を蒔けます。しかし種取りまですると、季節が被るので畑が全部使えません。効率と収量を優先していたら種まで取る時間と労力がもったいないと思うのでしょう。
しかし本来は、この種取りに大きな意味があります。
畑の中で過ごした一年の暮らしや体験が種に記憶として刻まれていきます。その記憶には、育つのを見守ってくれた場や人のことも刻まれます。同時に様々なその土地の環境、虫や周辺の植物や風の吹き方から光の差し方、あるいは土中環境まで記憶します。もっと言えば、地球全体の気候の変化にまで記録され順応するため翌年の準備をしていけます。
高菜は1200年前からこの土地に根付いていますが、1200年の記憶の中から最適な状態を探して翌年の変化になっていくのです。
そして多様な種を展開して、生き残るため生き延びるためにその場所で一年を実験してよく生きた種、よく順応したものが残っていくという仕組みになっています。
種取りまでしていると、最終的にどのような種がいいかがわかってきます。たとえば、高菜であれば在来種のため紫やトゲなどがあるものがあります。葉も肉厚のものとシャープなものがあります。
どのような高菜がもっとも強かったか、また一斉にではなく時間差で花も咲き、大きくもなりますからみんなそれぞれの個性で順応します。
在来種の種が豊かで価値があるのは、一つとして同じものがないということです。現代の購入する種は、DNAをいじり、無理に改良しては同じ種にします。一年で終わりだからかまた購入します。これは場所も気候変動も人も関係しませんが、記憶が蓄積していきません。
記憶が蓄積するというのは、それだけ子孫たちが生き残る可能性のために必要な大切な時間なのです。
人間も同じように扱われ始めていないか、改めて在来種や種取りからよくよく本質を学び直していきたいと思います。
