韓国の医療について深めていますが、韓国三大名医の一人に許浚(ホ・ジュン、1539年 – 1615年)がいます。この人物は李氏朝鮮時代の著名な医師であり、医学書『東医宝鑑』の著者です。
伝統医療というのは、伝統文化と同じく先人たちの知恵と努力の結晶です。今の韓国の薬草文化が暮らしの中で取り入れられたのはこの著書の影響が大きいことがわかります。
許浚の一生はとても魅力あふれる人生を送っています。まず武官の官僚の子として生まれながらも母が側室であったために「庶子」という不利な立場に置かれていましたがその制約を乗り越え、医術の道へ進み、やがて王の主治医にまでに出生していきます。
そして著書に関係する話では王の宣祖が許浚に朝鮮独自の医学書を編纂するよう命じたのは、1596年のころです。この頃の朝鮮では中国の明医学が主流で、明から輸入される漢方が多用されていましたが1592年に勃発した壬辰倭乱(イムジンウェラン=文禄の役)などで国内情勢は不安定になり、明医学の薬の輸入が難しくなりました。そこで山野草を含めた治療法を確立させる必要がありました。また明医学では朝鮮半島の環境や病理に適さない部分もあり朝鮮独自の医療の必要性を迫られていました。しかし1608年に宣祖が崩御し、許浚はその責任を取らされ志半ばで流刑になります。それでも境遇に腐ったりせず、諦めずに真摯に使命に取り組み1610年に全25巻の『東医宝鑑』を完成させるのです。
許浚の『東医宝鑑』の御蔭でそれまで一部の特権階級に限られていた医療知識が世の中の一般人にまで広く開放され伝わりました。この書物は病気ごとの対症療法のことではなく「人間の身体そのもの」を中心に据え体質や生活、自然との関係まで含めて体系的にまとめられました。つまり単なる病気ではなく、「人を治す」本質的な書物としてのものです。むかしから諺で大医は国を治すといいますが、まさにこの人物は「国家の大医」だったのでしょう。
また「人は自然の一部であり、健康とはその調和の中にある」という思想を持ち「薬草は山にあり、治療は日常の中にあり、最も優れた医者とは病気になる前にそれを防ぐ者である」とも言いました。現代でいう予防医学や個別医療の基礎になる思想です。
来週訪問する韓国の霊峰智異山は、薬草の宝庫といわれるお山です。霊峰英彦山と通じるものがまだたくさん息づいています。この「山の知恵」つまり、お山に蓄積された自然の知恵、薬草の知識、そして人間と自然の関係そのものが今でも遺り、誰でも使えるものにも体系化されています。お山と医学の関係は、この数年の英彦山守静坊の暮らしの甦生で発見することばかりです。
現代こそ、このお山の知恵を活かす時代ではないかと私は直感します。
今回の訪韓でどのようにお山を通じた智慧の交流があるのか、子どもたちや子孫のために学び直していきたいと思います。
