今週の土曜日には、日子山仙螺講の法螺貝講習会が場の道場で行われます。御蔭様で英彦山にて法螺貝を持つ羅漢もすでに六十五羅漢ほどになり、ますます法螺による氣づきや目覚めの法音は波動を通して多くの人々や場に共鳴をはじめています。
音というものは、一般的に言う楽器の音というものだけではありません。法音といって、真理の声ともいうものの一つでもあります。仏教などでも説法の声、読経の声、さらには浄土で風・鳥・樹林の音までもが法を説くものとして受け取られています。
例えば、自然に入り静かなお山のせせらぎや鳥のさえずる声で突然ハッと氣づかさられることがあります。あるいは、夕陽の沈むときの波の音、あるいは星空と大宇宙を見上げるときの風のゆらぎなど、音はあらゆる中に溢れていますがその中には真理そのものの法音が溢れています。
その中に、法螺貝の音というものがあります。
法螺貝は楽器ではなく、法具といわれます。なぜ法具といわれるかは、それは法音を放つ存在だからです。そして法螺貝は、その法音を宿す人の音が法螺貝によって和合し唯一無二の真理に辿り着きます。すると、先ほどのように自然の音で人々を目覚めさせるような存在になるのです。
それを「三昧法螺声」といいます。この三昧とは法螺と一体になっている境地で出す法音ということです。
私たちは日々に音によって目覚め、音によって今を知ります。そして音によって自己を学び、音によって静寂の本質を悟ります。この音というものは、波動ともいい、あるいは周波数ともいい、またあるいは心や魂とも呼びます。そもそも原初からある根源的なものの一つです。
音は宇宙のように私たちがまだわかってないことの方が遥かに多く存在します。しかし法螺貝に触れ、法螺貝を先生として音を学べば、その深く広大な智慧の一角に触れることができます。
法螺貝を學ぶのは、法螺道を歩むことです。
定期的に場に私が集め、集まるのは、その場を感じることが何よりも法音を学び直すことになるからです。
道は無窮、そして実践は永遠。
霊峰日子山のご加護を受けつつ、法螺の法音を響かせていきたいと思います。
