場の甦生の本質

自然から離れて暮らすようになって私たちは様々な苦しみや悩みが増えてきました。その中で自然と共生するために大切にしてきたものに掃除という知恵が産まれました。

この掃除というのは、単に物を綺麗に片づけるだけではありません。すべての関係性を調えていくことであり、自然の循環を巡らせていくことができる人類が自然の循環に参加していくための大切な仕組みです。

掃除の功徳を最も実践した二宮尊徳は、自然の循環こそ徳の巡りとして掃除(人道)から荒れた人々の心田を開発して人間性の甦生に取り組みました。

二宮翁夜話巻乃四、一八二にはこのように記録されています。

「翁曰、天道は自然なり、人道は天道に随ふといへ共、又人為なり、人道を尽して天道に任すべし、人為を忽にして、天道を恨る事勿れ、夫庭前の落葉は天道なり、無心にして日々夜々に積る、是を払はざるは人道に非ず、払へども又落る、之に心を煩し、之に心を労し、一葉落れば、箒を取て立が如き、是塵芥の為に、役せらるゝなり、愚と云べし、木の葉の落るは天道なり、人道を以て、毎朝一度は払ふべし、又落るとも捨置て、無心の落葉に役せらるゝ事勿れ、又人道を忽にして積り次第にする事勿れ、是人道なり、愚人といへども悪人といへども、能教ふべし、教て聞ざるも、是に心を労する事勿れ、聞ぬとて捨る事なく、幾度も教ふべし、教て用ひざるも憤る事勿れ、聞かずとて捨るは不仁なり、用ぬとて憤るは不智なり、不仁不智は徳者の恐るゝ処なり、仁智二つ心掛て、我が徳を全ふすべし。」

私の意訳ですが「自然は自然のままにしておけばいいわけではない。自然に対して人は人の道を実践することではじめて自然の循環と渾然一体になることができる。例えば永久的に木の葉は落ち、庭には積もっていくもの。だからといって、そのままにしておくのではなく、人は毎日、箒を持って調えることではじめて自然となる。これは人に対しても同じである。何度教えても分からないからと見捨てるのではなく、何度も淡々と押して導いていく。思いやりと知恵をもって心がけることが人の道であり徳を積むことになる」と。

つまり徳を積むというのは、自然の循環に対して自分もその循環の一部として和合し生きるというこ。その仕組みが「掃除」をするということを説きます。掃除をするときこそ、人間が最も自然と渾然一体になります。

私はこれを「お手入れ」とも呼び、心やいのちを触る行為だとし、丁寧に徳を巡らせ徳を磨くこと甦生すると場の道場で伝道しています。

だからこそだれかに掃除をさせるのではなく、自分自身が日々に掃除を実践すること。掃除をするときはじめて人間は自然と共生し、人間性を甦生していくことができるからです。

本来の掃除の本質は、天の働き、自然の循環に対して人間が暮らしやすいようにすべてのいのちを豊かに巡らせていくように調えることです。つまり捨てるのではなく磨くということ、分断するのではなく結ぶということです。

私の取り組む場の甦生は、自然の循環の一部になることを通してこの徳を積むことからはじめます。徳積財団も徳積循環も、お山の甦生もお水の甦生もすべて人類の経世済民、人々の心の荒廃を救い、「塵を払わん、垢を除かん」と一緒に掃除をして磨きましょうという目的のために実践するものです。

私の持ち場は今の世界や日本ではとても小さな場所かもしれませんが、歴史的に観ても地理的に観ても、風水脈を観ても日本の要であることがわかります。

今日も天道に倣い、人道を精進していきたいと思います。

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