力の本質~変化を味わう~

よくあの人は営業力があるなどと言われるような場合があると思います。他にも学力が高いとか、能力とか〇力とつくものを語る時、その人がよほど何か自分と異なる才能があるからと分別していることが多いように思います。

しかし実際はどうなのかということを深めていることは少ないように思うのでここで書いてみます。

そもそも何でも力というものは、最初からあるわけではありません。よく「力が具わってきた」とか言われるように力というは次第についてくるものです。最初はないものが次第に身に着いてくるというのが力の本質です。

それでは何によって備わって来るのかといえば、当然のことながら「努力」であることは自明の理です。人は最初はできなかったことが、次第に何かを行うことによってできるようになってくる。

その何かとは、それだけの努力の賜物によって得られるということなのです。

よく努力してますがと思い込んでいる人もいますが、ほとんどは今もっている才能だけで乗り切ろうとしているだけで新しいことを真摯に勉学しようとまでの努力はしていないように思います。今までのやり方で通用しなくなっているからこそ、新しいことを常に学び直し、学び続けていくことで新しい力を具えていくように思うのです。

なので力の本質とは努のことです。この努の語源を辿ってみると その「努」は「奴」と「力」でできています。つまり「奴」は「女」に「又」を加えた文字。「又」は手を表す形です。つまり「奴」は「女」を「手」で捕まえて奴隷にすることからその意味に「めしつかい」「しもべ」「やっこ」となっています。また「奴」に「力」(鋤)を加えて、農奴が農耕に努めることを意味する漢字が「努」となりそこから「つとめる」「はげむ」意味ではないかと言われているようです。

これらの努力というのは、それだけ地道に仕えるということを連想させ、つまりは自分に自分を従わせていく力をつけていくことかもしれません。目標管理というものも、これは自分が自分を変え従わせるために必要になるのではないかと思っています。

長くなりましたが、営業力とは営業努力であること、学力とは学努力であること、他にも〇〇力という言葉もすべてその間には「努」が入るのだということなのでしょう。

努力なしに目標も産まれず、目標なきものに成功もまたないように思います。以前、顧問の方から教えていただいた言葉がようやくここでつながりました。その方の尊敬していたリクルート創業者江副社長の言葉だと紹介してくれました。

「自ら機会を創り出し、機会によって自らを変えよ。」

これは営業に限らず全ての努力に通じる言葉だと思います。それだけ大量に最大に動いたか、どれだけ本気で沢山のことを遣り切っているか、その機会を産み出した分だけのものをはじめて掴み、そうした努力の上に他人に分け与えることができる、そしてその成果としてのみ変化があるということ。

まずは自分からチャンスを産み出す努力をすることのように思います。それらを本人自らできるようになるまでがコーチの真の役割かもしれません。

最後に、努力の人というと思い浮かべる方に王貞治さんがいてその人の言葉に勇気をいただきます。

「努力は必ず報われる。もし報われない努力があるのならば、それはまだ努力と呼べない。」(王 貞治)

自分の都合でやる努力ではなく、自分を従わせるほどの高い目標に向かって真の努力を積み上げていくことのみが努力と呼んでいいのでしょう。ただ努力に悲壮感がでてくれは人生が勿体なくなる気がします。一期一会のご縁は天からの贈り物ですからその天に応援されるほどの報われる努力の先に出会ったことのない奇跡が待っていることを楽しみに、日々にワクワクドキドキと好奇心の情熱の炎に薪をくべ、その時々の変化を味わい新たな心で挑戦していきたいと思います。