感情を愛する

人間は感情の生きものだと言います。

感情というものは自分の中に居て、外側の現象にあわせて常に変化し続けます。これは外界と内界のバランスを維持するためでもあり、その時々の状況に合わせて状態を合わせてバランスを保とうする生存本能の一種であろうと思います。

この感情というものは、時としてプラスにもマイナスにもなることがあるように思います。例えば、仕事でも日常でもそうですがその感情がマイナスのときは捗らず、プラスの時はスムーズに進むことのように気分に影響されてしまうからです。

しかし気分がどうだからといって現実には期限もありますし、周りもいますし、本質も変わらないのだから感情とどう上手く付き合っていくかというのは基本の技術の一つであろうと思います。

これをメンタルとも言い、如何に自分が本番で自分らしさを発揮できるか、最高のコンディションを維持できるかということで研究されてもいるのです。

自分なりに感情を深めてみると、感情は情熱から派生してくるものだから感情が激しいことがいけないわけではないと思います。よく冷めているという言葉もありますが、まったく感情がない無機質になると情熱が湿っているともいえます。

これらの情熱は志を立てるところからはじまりますが、薪をくべ続けるにも感情を育てていく必要があるようにも思うのです。そしてこの感情というのは、どのようにプラスへ転じるかというものが技術のように思います。

例えば、よくないと思うことがあったとき感情が激しく揺らぎます。その時には感情を善い方へと移し替えるという技術を用います。自分の感情を転じて善い方へと移すようなものです。

これは生き方とも関係していて、よくプラス思考とかいわれますがピンチをチャンスと捉える発想だったり、禍転じて福になるのと同じで、如何に悲観的な状況であっても、こんな体験は二度とさせていただけないのだからと感じたり、自分がするのではなく謙虚にさせていただけるのだからと真心を尽くそうと転じたり、やるのではなくなるのだと人事を尽く天命に任せようとしたり、こういうことを自分自身が実践することで移し替えができるのです。

言い換えれば移し替えとは転じるということは、自分が変われば転じられるのです。自分の方を変えずにいつまでも粘ると感情は混濁し負のサイクルを呼び込みます。しかしもし自分を変えようと感情を移し替えて転じれば正のサイクルが発生してきます。

つまりは感情とは自分を変えるタイミングで発生してくるものであり、その感情を見つめてその感情を活かす、つまりは自分の何を変えればいいのかと前のめりに自分を改善していけば感情は次第に善いものへと転換されていくように思うのです。

これらのメンタルトレーニングというのは、いつも善い方へと自分をコントロールする機会を求めてはそれを実践により継続することで練習を積んでいくしかありません。自分にとって最悪のように思える機会であったとしても、そこで諦めず不貞腐れずにきっと何か大切なことを学ばせていただいている、感謝と御恩返しのために遣り切らせてくださいと真摯に取り組むことで感情も生き方も丸ごと生長していけるように思うのです。

これらの感情というものは、変化の時には必ずつきものですから避けてはならないと思います。感情を伴っての成長とは痛みも伴いますし、また苦しさもあるかもしれませんがそれが楽しいと思えるほどの努力によって抜けていけるように思います。

この感情ある自分も愛し、感情をもつ人も愛し、より善い方へ転じていこうと思います。