自戒の生き方

先日、戒名のことを色々と調べていると色々と気づいたことがあります。もともとこの戒名は、古代中国から渡来した文化です。これは高貴な方の実名を直接口に出すことが良くないとされる風習が中国にあり出家の際も俗名ではなく戒名を名乗ったことからだといわれます。日本の文献上に最初に戒名を受けた人として登場するのが、奈良時代の聖武天皇だといいます。

江戸時代に檀家制度ができてから、みんなお寺に属しますから戒名を名乗ることが当たり前になっていきます。この檀家制度ができた理由は、キリスト教の広がりを恐れ始めた2代目将軍徳川秀忠以降くらいから仏教を国教化し邪宗門(異教)としてキリスト教や不受布施派などを弾圧するためにはじまったといいます。

この檀家制度は幕府が民衆を管理していくための「寺請制度」に発端を発します。これは寺請制度とは、「自分がキリシタンではない」ということを寺院の住職に保証してもらう証分を幕府に提出することを義務付けする制度です。

この証文のことを「寺請証文」といいます。自分が仏教徒であることを証明する証文には結婚や養子縁組、出生、死亡などの戸籍の証文になりました。

その証文には寺院の押印が義務付けられ今でいう役場にあるような戸籍台帳の管理を寺院がしたことになります。これによって寺請証文を発行し人々の身分を保証する代わりに、人々を檀家にして寺院経営の支援を民衆にさせました。そこからお盆や彼岸などの寺院へのお参り、葬式法要、そして寺院修繕などの際の寄付の義務化などがつくられ檀家制度が確立したのです。

戒名もまた、その寺院がつけますからお坊さんによっては嫌な人も権力を握った人もいたでしょうから「地獄の沙汰も金次第」や、「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」などという言葉も出てきました。明治以降に廃仏毀釈が行われましたが、色々とその制度に恨みを持っていた人たちが進んで破壊を手伝ったのかもしれません。

戒名に話を戻せば、江戸時代に入るまでは戒名はそんなに一般的ではありませんでした。江戸時代にみんな戒名を持ち、そして明治以降はまた戒名の必要性が失われました。現在では、戒名を自動でつけてくれるアプリやサービスも出てきています。

本来は、戒名と書くくらいですから仏門に入り覚悟をもって自戒した修行をするときに師が祈りを込めて伝授したものだったのでしょう。形式だけの戒名になってしまうと、もはや何のためにつけるのかも不明になっていきそのうちそれも失われていくように思います。

自分で生前に持つ戒名もまた、自戒を籠めてのものだったのかもしれません。色々と文化や歴史を辿りながら、そのころの人々たちの生き方を学び直していきたいと思います。