昨日は、英彦山の再生活動の方々を守静坊でご接待をさせていただきました。その振り返りの中で、「石を動かしてはならない」という話がありました。これは聖域や自然保護の観点において、自然がしていることを邪魔しない、勝手に奪ってもいけないという戒めでもあります。
これを少し深めてみようと思います。
私たちはお山や川にいくとき、たくさんの石を見かけます。例えば、その一つの石を持ち上げてみるとその石の下にはミミズをはじめ多くの生物たちが生息する居場所となっています。川においても同様です。そして石に限らず、腐葉土をはじめ倒木なども片づけるとそこには意味のある存在が多くいのちを結び合っていきています。
ある先生のお話では、川の石は循環の一つの状態になっている。上流には大きな石があり下流には砂がある。これは石が変化している最中であること。なので変化の途中を奪うことで循環が乱れることがあるとも言われました。
世界のある伝統的な大地を大切にしている人々や民族では、たとえ子どもが泣いていても遊んだ石を元通りに謝って戻しなさいと教えることもあるそうです。
自然の配置や自然の持っている循環、これを「宇宙の法則」と呼んでもいいかもしれません。その宇宙の法則に従って働いているものを自分の都合で勝手に変更してはならないということかもしれません。
自然物がそうなっているのは、そうなっている理由があるということです。だからこそ、それをそのままにしていることで自然は全体を健全に保っていたりします。先ほどの、石一つですら自然全体につながっているということです。まさか動かした石一つが、宇宙全体とつながっているとは人は考えないものです。
それくらい、現代の人たちは自然よりも頭が高くなり謙虚さを失ったということでしょう。自然が分からないというのは、そういう謙虚さ、宇宙の法則やハタラキを観る必要がなくなったということでしょう。それだけ自然を支配することに躍起になって、そもそもの自然から離れたのです。
老子に「人は地に法り、地は天に法り、天は道に法り、道は自然に法る」という言葉があります。道法自然(どうほうじねん)のことです。
改めて先人が観ていた自然、この場で行われてきた普遍的な道。
英彦山の守静坊、またこの場から学び直していきたいと思います。
