心の豊かさ

古民家甦生を通じて古いものを修繕していると誰もがその光景をみて「懐かしい」と感じます。その懐かしいと感じるものは何か、それは心の豊かさです。懐かしさとは人の心の中にあります。

今の時代は、過剰な貨幣経済が発達しお金の方が物よりも溢れかえっています。都会にいけば手に入らないものはほとんどありません。家電製品であったり生活用品であっても簡単に購入できます。

しかしちょっとしか使われずもっといいものがあれば購入して古いものは廃棄されます。本来、昔の先祖たちはものを大事に最後まで使い切りました。それを見立てるとも言います。

私が尊敬している鞍馬寺の貫主様も、壊れた茶碗を花瓶に見立ててお花を活けていました。こうやって使えなくなったものを別の形にして活かそうとする。その心の豊かさは私たち先祖たちがずっと大切にしてきた心です。

この心を知る時、私たちは豊かさとは何かの本質に出会えるのです。

心の豊かな人とは、もったいないそのいのちを使い切る人です。同様にもったいないその一期一会のご縁を活かす人です。

二度とないものをもっと大切に使い切ろうとする心は別にゴミを捨てないとか、節約しようとすればいいのではありません。今までお役にたってきたいのちを慈しみ愛おしむ心、いのちが宿っているものへの思いやりと感謝、それは自分がこの世で暮らしていける仕合せを味わっている人生の豊かさです。

心の豊かな人は、その存在が懐かしく感じます。こうやって先祖の心に触れて生きていけることは何もない中でも無尽蔵にある宝に出会っているようです。

子どもたちにも心の豊かさを譲っていけるように古民家甦生を楽しんで歩んでいきたいと思います。

  1. コメント

    現在作られているものの多くは、最初から「長く使うこと」を前提としていません。売る方も、どんどん買い替えを勧めてきます。そういう意味では、「モノとの付き合い方」も、時代を経て、随分変わってきました。「大事にする」と言っても、仕舞い込んでしまうのではなく、「生活のなか」に使ってこそ値打ちがあります。「使う」ということは「消費」ではありません。上手に「付き合って」いきたいものです。

  2. コメント

    子どもたちは積み木を電話や電車に見立てたりするのも心が豊かだから自然と遊びの中で行っているのかなと感じます。大人にとっては取るに足らないものでも愛おしんだり、慈しむのはそこに何か別なものを見ているように思います。古民家を通じて私自身も少しずつそのことを感じ入るたびに心が感動します。この豊かさを味わい形にし遺していきたいと思います。

  3. コメント

    家が喜ぶ暮らしという考え方を聴いた時に衝撃が走りました。自分や家族の喜ぶ暮らしという基準ではないその考え方から、見方がまた少しずつ変わり始めました。家が喜ぶ暮らしから豊かさをかんじさせて頂きたいと思います。

  4. コメント

    ものに対する扱いがそのまま自分に対する扱いになるのだと思うと、見立てるというのは自分のいのちを大事に生かし切るということに繋がるように思えます。また日本人の心を持った偉人などの話を聴くと、何か切り離せないような懐かしさを感じることがありますが、自分の中にあるものに反応してそれを懐かしいと感じているのかもしれません。まだまだわからないものに近づいていきたいと思います。

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