家に祈る

昨日、聴福庵の家祈祷を郷里の神社の宮司様に行っていただきました。古民家甦生をはじめてから一年、ようやく神様が入れるほどに清浄な場が整ったようにも思え有難い気持ちになりました。

思い返せば、家は傾き、庭は鬱蒼と蔓や雑草で廃墟のようで家の中はあちこちクモの巣や蝙蝠の死骸などが散乱していました。民家が店舗になりあちこち乱暴に壊され、穴や傷、汚れがとても目立ちました。幽霊屋敷などとも呼ばれ、誰も近づいて来ませんでした。

それをこの一年でいろいろな人たちの協力や支援、また仲間の真心の手伝いを経て甦生しはじめ今ではとても家が悦んでいるように思えます。

家祈祷を通して、改めて氏神様が守ってくださっていることに感謝し、かつての民家の暮らしが充実していく御蔭様を実感しました。

清浄な場に魂は宿り、暮らしの道具たちは活き活きしてきます。

一家安泰、一家平安になるのは、家運を高めようと祈る当主の心がけ次第かもしれません。私自身、会社で一家宣言をしてから「家とは何か」「当主とは何か」について学ぶ機会と実践の場をこの聴福庵によって得られました。

また仲間たちもここでの暮らしを通して、それぞれが生き方と働き方を学びこの一年でとても成長してくれました。昔からあるものを大切に守り今に活かす、その勿体ないものの存在も身近に感じ、また伝統という先人の智慧や子孫への思いやりなどを身近に感じるご縁もたくさんいただきました。

家に祈るのは、いつも見守ってくださっている風土、歴史や時間の中でいつまでも変わらずに連綿と繋がっている今に感謝することです。

郷里の恩返しもはじまったばかりです。

この120年の古民家が残りあと数百年生き続けられるように、永い目で観て循環の調和した暮らしを温故知新できるように祈り続ける実践を高めていきたいと思います。

  1. コメント

    もう1年が経つとは信じられません。そしてこの1年でここまで変わるとは思いもよらず、次から次へと話が進んでいくことに驚きもあります。聴福庵はもちろんそうですが、自分自身も変化しているのを実感するほど、大きな存在です。教えずして場が教えてくれるというのは、まさしくそうなのだと感じています。そして聴福庵という歴史の変遷をしっかり次代へ書き残していきたいと思います。

  2. コメント

    「祈祷」とは、神仏の加護を願うことですが、それは同時に、加護を受けられるような暮らしをするという誓いでもあるでしょう。「家」は住処であるだけでなく、人の縁の拠り所でもあります。特に「聴福庵」は、今後、「縁処」としての大きな役割を果たしていくことになるでしょう。これからの展開を楽しみにすると同時に、心を新たにしておきたいと思います。

  3. コメント

    家とともに生きる、道具と共に生きる、古民家での暮らしというものは、まさに自然との繋がりを忘れずに生きる智慧が詰まったものなのだと感じています。「家祈祷」初めてその言葉を聴いた時は不思議な感じがありましたが、自分自身も沢山のものを頂いてきたこの一年、暮らしを磨きこの先へと繋いでいきたいと思います。

  4. コメント

    暮らしを振り返ると自分の生き方が見えてきます。この一年の暮らしが、今の生き方につながり、そしてこれからの暮らしがこれからの生き方になってくる。聴福庵での体験がまた自分自身に染みてきていることを感じるとともに、家族の中で、体験している人としていない人とではまた、感じるものも異なってきていることを感じます。これもまた、自分のペースではなく、家族一緒になって体験を重ねていきたいと思います。

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