縁日

来週末開催の「まちづくり×古民家甦生=観光創生化」の準備のために聴福庵に来て色々と段取りをしております。午前中は、まちづくりのファシリテーターとの座談会。午後からは地域の子どもたち向けの縁日を開くことになっています。

そもそもこの縁日とは、「有縁の日」の略語であり、神仏の降誕・示現・誓願などの縁があり、祭祀や供養が行われる日のことをいいます。先月は、地域の氏神様である天神様をお祀りし天神祭を開催しました。これもまた一つの縁日とも言えます。近代以降はお祭りもセットになり、露店などが出て賑わうようになりましたが本来は有縁の神仏の祭祀と供養のために暮らしの一つとして家々においてそれぞれに有縁の日に実践されていたものです。

それぞれの風土で実践される縁日には、それぞれに受け継がれている思いや願いがあったり、大切な歴史的意味があったり、御先祖様からの伝言や文化の伝承であったりするものもあります。

例えば縁日で有名なものに8、12日の薬師如来、15日の阿弥陀如来、16日の閻魔、18日の観音菩薩、21日の弘法大使、24日の地蔵菩薩、私たちがお祀りしている25日の天神様などもあります。他にも毎日、何かの縁日と結ばれ人は信仰を守り続けてきました。特に、一年の中で特に大切に結ばれる縁日の功徳は大きく、たとえば7月10日は観音菩薩の四万六千日といって、この日に参詣すれば4万6000回参詣したのと同じになると説かれたりしているものもあります。

こうやって縁日は信仰と結びつき、お祀りすることでさらに神仏のご加護を実感しながら感謝で暮らしていたのが私たちのご先祖様たちの生き方でした。

そもそもご縁とは、何かしらの因縁によってつながっているということを意味します。私とあなたも、そしてこのブログを読んでくださっている方も、何かしらのご縁によってつながって結ばれています。これは私たちの親祖からはじまり、私たち子孫はその発展と共に増えて広がってきた民族でありその元は同一であったことを意味しています。

何回も生まれ変わり、そして巡り会う中で、時代を超えて再び出会います。また出会うのもまた何かの因縁があるのであり、そのご縁のつながりの中で共に生き貢献し合っていきていくのは私たちです。

このご縁を大切にするというのは、自分は結びの中にある存在であるということを確認するということです。この縁日はまさに、日常の喧騒や忙しさの中でつい忘れがちになっているつながりやご縁の存在を改めて確認する日でもあると私は思います。

真摯に神仏やご先祖様からいただいたご縁を活かしていけるよう、ごつながりをもったいなく使わせていただき、ご縁のある皆様が幸福であるように自分のいのちを盡していきたいと思います。

 

  1. コメント

    「縁日」という言葉には、「暮らし」にぴったりの響きを感じます。柳生家の家訓ではないですが、まず「出会った縁に気づくこと」、そして「気づいた縁を生かし合うこと」をもっともっと意識したいものです。特に、「時の縁」と「地の縁」を生かし、神仏に見守られながら「縁を生きる」「縁で生きる」ということを楽しんでみてもいいのではないでしょうか。

  2. コメント

    縁日という言葉に楽しいイメージを持っています。人と人同士が集まりワイワイ賑わうのは活気もあってやはり楽しさを感じます。一人では感じられないものがあると思うと、一円対話の「円」においても「縁」と似た意味合いがあることを思います。縁あって頂いた機会を大事に迎えたいと思います。

  3. コメント

    なぜ今回聴福庵を使いたいと仰ったのか、そして折角使って頂くなら聴福庵がどのような場所かを知ってもらえたら…と当初は思いましたが、寧ろ意味を知るべきはこちら側だったのかもしれません。暮らしの甦生を始めてから初めて実際の子どもたちが「なつかしいみらい」に出逢うことになる今回、そんな特別な縁を感じながら大事に臨みたいと思います。

  4. コメント

    目に見えない縁を感じられる感性や、ご縁に導かれるように機会に軸足を置ける生き方を深めてみたいものです。入社当初、ご縁という言葉の意味も実感も持たず、ただ合理的に利己的にいた自分が、ご縁というものを感じ始められたのもまた有難いことでした。ご縁の世界の入口に立ったばかりですが、その意味をまた、今回の縁日も通じて学んでいきたいと思います。

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