徳の系譜

自分の先祖のルーツを辿っていると不思議ですがその間にいる別の先祖たちの生き方が似通っていることに気づきます。これは子孫の私に限らず、目指している生き方や求めている生き方が似ているのです。

例えば、天皇を守護し続けた先祖がいた場合、その後もずっと誰かを守護するような働きをしています。そして神官や僧がいる場合、その後も篤い信仰心で神仏に仕えます。科学的には証明できなくても、先祖や先人が生きた生き様や求めた道をそのまま子孫が継いでいるのではないかと思うのです。

私たちが先祖を知ることの価値は、大変偉大なものです。なぜなら、今の自分に流れている血脈や道筋や志の中に一生を懸けて繋いでくださっている人がいると実感することで今の自分の判断基準が確かなものになっていくからです。

そしてなぜか惹かれる場所や、歴史、物語、人物、仕事や神仏などもそれらはすべて過去の歴史で深い御縁が結ばれているところが多いからです。それに今、自分と出会っている人々もむかし深い御縁があった人たちが多く、かつてはお互いに協力したり敵対したり、家族になったりと様々な関係を持った人たちがいます。

それだけの深い御縁がある人たちだからこそ、自分の個人だけの狭い視野で個人の物差しだけで判断しないよう、全体から鑑みて本来の深い御縁を噛み締めていく必要があるように思います。

そして過去の栄枯盛衰を観る中で、何を最も大切に生きていけばいいか、何を継いでいけばいいかという本質に出会うのです。

先祖があって今の自分があるというのは、その徳に恵まれているということです。その徳を自分が高め、如何に子孫へと譲り渡していくか。いくら財産や財宝があっても、そんなものは長続きしないことはすぐにわかります。だからこそこの徳というものをよく観て、子孫にその大切さを伝承していく必要があるのです。

先祖の系譜を辿ることは、徳の系譜を辿ることです。

引き続き、徳を遺し譲れるように残りの人生を大切に使っていきたいと思います。

  1. コメント

    今私自身がさせて頂いている仕事を、先祖も同じ想いで別の形でしていたとしても何の違和感を感じません。きっと、性格的にも似ているのではないかと感じます。生まれ持ったものは決して自分の力だけでなく、ご先祖様からの贈り物でもあると思うと、誰かのお役に立てるよう、自分自身を使っていきたいと感じます。

  2. コメント

    漠然とただご先祖様を大切にと言っても、今のような時代ではなおさら実感が伴いづらいようにも思えますが、親たちの姿を通して感じるもの、さらにはどのような人柄であり生き方をしたのかを知ることは、自分自身を含め子どもたちに必要なことのように思います。遺して下さった思いがあるからこそ、物語を受け繋いでいきたいと思います。

  3. コメント

    「積善の家には必ず余慶あり」と言いますが、これは、先祖が積み重ねてこられた「徳行」が、子孫に「福徳」をもたらすということでしょう。「徳行」には、いろいろなものがありますが、その家系によって、重要視するものに特色があり、「血縁」のなかに先祖の願いが流れ込んで、その傾向が自然と受け継がれているのかもしれません。

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