場の建築家

私は日本の民家を甦生していますが、建築士ではありません。そして設計士でもありません。では何なのかというと、よくわからないのですが「場」づくりのコンサルティングのようなことをしているのではないかといわれます。

世の中には、この建築士や設計士と呼ばれる職業のほかに建築家という人たちがいます。この建築家というものは、思想や哲学を持ち、本質を見極め、そのための建築をする人たちです。この建築家という言葉は、英語では「アーキテクト」をいいますが古代ギリシア語で「全能」という意味です。この全能は訳し方次第ですが、私の言葉では自然に精通しているといってもいいかもしれません。

なぜなら私は、建築を考えるとき風土を優先し、自然かどうか、家が喜ぶかどうかなど、すべてを自然の道理に照らしながらあらゆる方面から家を設計していきます。自然や風土に長けている人物であれば、その意味の深さは同じところに達するはずです。

私が家を見直す仕組みは、今まで取り組んできた自然農や発酵、伝統文化、哲学などあらゆるものを場に設定しそれを混然一体になるまで突き詰めて明らかにしていきます。その明らかにして出てきた本質や道理を、具体的にデザインしていくという手法です。

あらゆるものを感知し、それをデザインするとき和が生まれます。その和こそが、子どもたちの五感を育て伝統を伝承して智慧が継承されていくのです。家は第二の先生という言葉もありますが、実際には家は子どもにとっては第一義の先生であると私は確信しています。

家がその人に与える影響はとても大きいのは、風土がその人の人生に与える影響と同じだからです。そして建築家たちの言葉を眺めていると、私が思う場の思想と同じ哲学を感じます。

「神は細部に宿る。」「より少ないことは、より豊かなこと」「家は生活の宝石箱でなくてはならない」「世の中に新しい創造などない、あるのはただ発見である。」「直線には神は宿らない」

これらの中には、生き方が言葉になっているのがわかります。何を見つめているのか、私自身も本質オタクですから似たものを持っているのかもしれません。引き続き、子どものためにこの力を発揮していけるように実践を深めていきたいと思います。

  1. コメント

    「技術」や「ノウハウ」には、その背景に、それぞれ「思想がある」と言われます。逆に言うと、その「思想の限界」が「その方法論の限界になる」ということです。そういう意味では、「何ができるか」より「どんな思想に基づいて探求しているか」ということが大事でしょう。「方法論」に振り回されないように留意したいと思います。

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