いのちの甦生

昨日から聴福庵でブロックチェーンハッカソンの準備をしていますが、いつもの日本民家での心豊かな充実した日々の暮らしを私たちはいつも通りに取り組むだけなのでどのような化学反応があるのかが楽しみです。

そもそも暮らしというものは、単なる生活をすることではありません。心の充実感、味わい、そして真の豊かさは、いのちのハタラキと共に存在しています。いのちのハタラキは、手間暇かけた丁寧な生活の中だけに存在します。

なぜなら、いのちを扱うということは、いのちが壊れないように接する必要があるからです。そのものが壊れないように接すると言ってもいいかもしれません。

私たちは知らず知らずのうちにものを粗末にしていきます。また同時にいのちをも粗末にしていきます。ものにはいのちがあるのですが、なんでも捨てているうちにもののいのちがわからなくなっていきます。

どんなものにも、作り手の思いがあり、また使い手の思いがあります。お互いに思いがあるからこそ、思いやりというものが存在します。

その思いやりは、思いに対する配慮であり、いのちへの尊重でもあります。そういうものを感じながら生きていくことが、本来のいのちのハタラキを感じることであり、ハタラキを感じたからこそ生き方もまた変わっていきます。

働き方改革とは、生き方改革のことをいいます。生き方改革とは、いのちのハタラキを改革するということです。

現代のように物が増え贅沢ができる時代になったからこそ、本物の豊かさを思い出し気づき直すことで人類のかじ取りを学び直す必要を感じています。

暮らしの中でのハタラキは、いのちの甦生です。

引き続き子どもたちのためにも、いのちの甦生を伝道していきたいと思います。

  1. コメント

    人間関係においてもっとも重要なのは、相手に対する「敬の心」であると言われますが、これは「あらゆるものとの関係」でも言えるでしょう。大事なのは「いのちそのもののハタラキ」であり、その存在が「自分に都合がいいかどうか」ではありません。「自分にとってどうか?!」という発想をしている限り、「いのちのカガヤキ」というものは見えないのかもしれません。

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