暮らしフルネスメッセージ

日本人は古来から暮らしの中で神道を実践してきたように思います。日本人は無宗教だといわれますが、それは暮らしの中で文化を継承し、神代からずっとご縁を大切に生きてきましたから無宗教ではなく宗教が分かれる前の原型のままで存在しているということです。

日本人の暮らしとは、単なる海外のライフスタイルということではありません。よく生活という言葉も言われますがこれは暮らしではありません。暮らしはもっと奥が深いものであり、それは神道でいうところの「中今」という実践、他にも「常若」という実践、「むすひ」という実践、等々数えればきりがありませんが本来の実践によって智慧を伝承するという仕組みになっているのです。

実践が優先ですから、理論によって分化させていく必要はなくまさに暮らしそのものの中で粛々と和を維持しながら生き方を大切に道を歩んできたのです。

暮らしが充実するというのは、決して生活が物質的に豊かになる事ではありません。私の言葉では、暮らしの豊かさ=暮らしフルネスというものは神道的な実践を暮らしを通して学び直しそれによって神代の人々と同じような心になっていくということです。

以前、ブログの中で飛鳥時代の人々の暮らしのことを書いたことがあります。最後の宮大工、西岡棟梁が法隆寺の槍鉋の跡や、その当時の職人たちの暮らしを建物から読み取っていくと如何に飛鳥時代が神様のように生きた人々が多かったか、平和で心豊かに愛に溢れた社會を築いていたかということを想像されていました。

私たちの内面にも神代からの魂は今に生き続けており、それが甦ればすぐに私たちは神代の人たちのような暮らしにアクセスすることができます。愛ややさしさ、真心のままに生きてみんなでこのいのちの歓びを謳歌しあいこの世もあの世も楽園になっていく。

そういう暮らしこそ神の道であったように思うのです。決して宗教としての神道ではなく、神の道としての暮らしを実践することが私は本来の日本人の原型であり原点だと確信するのです。

なかなか、この時代、体験していないし世の中の仕組みやシステムが神代のような心にアクセスさせませんからそれを思い出すことは非常に難しくなっています。しかし、「場」を通して、また「家」を通して日本人の心は甦生できると私は確信しています。

今は、意味不明で非科学的と思われることもあるかもしれませんが日本人である以上、今の自分たちは神代からこれまらつながって存在しているのだから必ず思い出す日が来ると信じています。

引き続き、徳を積み、徳を磨き、徳を甦生し、その徳の御魂によって子どもたちの安心できる未来のために行動していきたいと思います。

  1. コメント

    「神道」には他の宗教と違って「教え」がない。教えがないということは「善悪」がない。では、「善悪」の代わりに日本には何があるか?!それは「美しいかどうかという判断基準」である。という話を聞いたことがあります。日本人は「発破」の技術を知っていても、自然を征服する採掘には使わず、みんなを幸せにする「花火」に使った。そういう感性を持つのが日本人だと。「勝ち負け」や「損得」の世界ではなく、「生き方として美しいかどうか」その道を深めようとする暮らしこそが、未来の子どもたちの笑顔に繋がっているのでしょう。

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