心の居場所

聖地巡礼という言葉があります。もともとはイスラム教徒の信者が使っている言葉だったそうです。これはイスラム教のマッカにあるアル・ハラーム礼拝堂を聖地にし、その神殿を巡ることを巡礼と言いました。一生に一度は、聖地巡礼を行うことは信者にとってはとても大切なことでした。現在はこの言葉は、日本ではアニメや漫画の熱心なファンがそのアニメの舞台になったところを訪れることを聖地巡礼を呼ぶようになっています。

このこの聖地巡礼は、時代を超えて大昔から人々の心の文化の一つだったように思います。お伊勢参り、四国八十八か所巡りなども同じように聖地巡礼が美徳とされ今に受け継がれているように思います。

その聖地にいけば、何か自分の中にある信仰に触れるということでしょう。教えを肌で感じ取ったり、そのものが悟った場所に自分を運べば文字では得られない感覚をあらゆる場の力を感じて直観することもあったように思います。

以前、私も33か所観音霊場巡りをしたときにその聖地巡りにおいてその価値を実感したことがあります。最後まで巡り終えたとき、その最後の寺院に詩が読まれていてその詩には「この33か所巡りをしているうちにあなたはどの観音様と巡り会いましたか?」と尋ねるようなものが書かれていました。その時、思い返してみると道すがらに声を掛けてくださった人、挨拶してくださった人、猛暑厳しい中で冷たい飲み物を差し出してくださった人、みんな観音様ではなかったかと実感したのです。

つまり、私たちは心のありよう一つで観音様に出会ったり出会わなかったりしているということを聖地巡礼で学び直したことを思い出します。この聖地巡礼の仕組みは、自分自身と向き合い、自分自身とつながるという体験を持たせているように思います。

その場において、何をすることで自分自身とつながるのか。

ここにこれからの時代の心を癒し、自分を取り戻すためのキーワードがあるように思います。これから場の道場をはじめ、私は暮らしフルネス™を提供していきますがこの聖地巡礼の仕組みは時代を超えて参考になります。

子どもたちに、心の居場所を譲り遺していきたいと思います。

 

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