山に住むとは

英彦山では昨日から雨がずっと降っています。ここ数日、沢の水が減ってきたなと思っていたらまた雨によって水の量が回復しました。流れている水が多いとき、少ないときで山の中では何が行われているのか。平地との違いなどを色々と考えることがあります。

明らかに違うのは、森林があることです。平地では、田んぼが広がりあまり森はありません。実際に、人間は森に何をみたか。その一つの機能として貯水というものがあるように思います。田んぼもある意味で貯水装置でもあります。海に流れていく水をいかに貯水することで生態系が豊富になり活発になるかを自然から学んでいたように思います。

傾斜面には基本的には水は貯まりません。重力の関係もあり水は高いところから低いところに流れていきます。その水を貯めるためには、木は山に落ち葉などを落とし水を貯水しやすい土壌をつくり、根から葉にいたるまで全体に水を貯めます。雨が降らない間は、その水を少しでも効果的に使うために土の中の隅々まで貯めた水をうまく吸収していきます。また大雨などのときは、なるべく水を吸収して貯めこみ土壌が流されていかないようにしています。山は木々にとっては効果的に日光を浴び、雨が降りやすく過ごしやすい場所です。その場所を住処にするためにも山を森にしてきたのでしょう。

山に住むというのは、木々の中に入り、木々と共に暮らすということです。それは山の一部になるということです。宿坊に住むと、風の通りや光のたまり場、また水の配置などあらゆるものが山に呼応していることを感じます。気持ちいいと人間が感じるのは、その山の場が人間が生活していくのに調っているからです。

人間はなんでも調和するというものに心地よさを感じます。これは自然も同じです。心地よくあるためには、そこに住む人間がまず心地よさを感じる必要があります。それは私の言う場づくりの基本です。その心地よさは、その自然との一部として共に暮らしていくなかで磨きあっていくものです。

お互いの存在を尊敬し共に磨きあう中に、調和の場が生まれます。山に入ればアッという的な山の存在に埋没しそうになりますが人間が山と共に歩めば、人間が山のように場を創造します。

仙人というのは、ある意味そういう山と共生するもっとも自然的な存在だったのでしょう。その山の存在感を纏っていたからこそ、人間にはない超越した存在を感じたのかもしれません。

山に住み、色々と学び直しています。

 

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