自己の変化

時は変化し続けて変わり続けます。むかしの地理や今の地理を比べてみてもわかるように、自然も変わり続けます。よく考えてみると、太陽系も移動し宇宙の配置も変わり続けているのだから変わらないものなどありません。

変わらないはずはないのですが人間は、目先の変化にばかり囚われてしまうものです。この数十年でも科学が進歩してあらゆるものが変わりました。その中には、生活習慣というものの変化もあります。

自分が子どものころは、まだコンビニもなく携帯もパソコンもインターネットもありませんでした。こんなに車もなく、ほとんどバスや自転車での移動でした。道も舗装されていない場所だらけでしたし、電気や水道、ガスもまだあまり通っていませんでした。今では各家庭に何台も車があり、空調も各部屋にあり便利さという意味ではほぼ完璧です。

世界は人口が80億人に達したともいわれます。人間の寿命ものび、病気も感染症などもほとんど解消していきました。食料も産業革命以降は、大量生産し大量消費することで解決していきました。物流も整備され、衣食住あらゆるものは豊富になりました。これ以上、便利にしようとするとどうなるのか。人間が仕事をしなくても、AIがすべて代わりにやってくれて人間はただ遊んで暮らしていけるような状況になっていくのでしょうか。

追い求めていた欲望の果てが今の世の中です。そしてもっともっとと、さらに人間は進歩を続けます。今度は宇宙を開発して、さらなる富や財産を増やしていこうとします。寿命もさらに追い求めて不老不死を目指すでしょうし、病気は根絶を求めるのでしょう。追い求めていく先には、常に争奪戦が繰り広げられていきます。無限の資源はこの世にはなく、すべて限られた中で分け合う仕組みになっているものです。分け合うよりも奪い合えば、奪った方は裕福になりますが奪われた方は滅亡していきます。

宇宙は絶対的な法則のようなものがあり、陰陽に因果応報、絶妙にいのちのバランスを保ち続けています。片方がそのいのちを奪取すれば、そのうちその反対の方も奪取されます。奪い合えば奪われ、与えれば与えられるというのは循環をするこの世の揺るがない法則です。

近代の文明は、なくなったらもっと多くを持つ方へと侵略することで富を保ち続けてきました。最初は小さな村だったものが、それがやがて集合し国になり連合しさらに大きな国家共同体になりさらに別の国を奪取しては拡大を続けます。拡大を続けていく国はそのうち限界がきて最後の奪い合いをして滅びます。

便利さというものは、さらなる欲望を駆り立てていきます。奪った分だけ便利になっていくからです。自然から奪ってきたものは何だったでしょうか。人間から奪ってきたものは何だったでしょうか。時間から奪ってきたものは何だったでしょうか。奪われたものたちの仕合せはどこにいったでしょうか。

虫や草、木々など人間以外のものにも仕合せはあります。地球にも宇宙にもあります。本来はみんなが与えあい共生しあえば、永続する未来はあるものです。奪い続けてまだあるはずとここ100年間、みんなで国力をあげるために争奪してきましたがそろそろ枯渇してきました。ここから100年どうするのか。さらに地球の隅々まで探しては奪い合うのか、あるいは宇宙に探しにいくのか。心配なのは、便利な生活に慣れた人々が生活を落とせないと持っている人たちのものを奪うために暴力を過激化していくことです。

この先、100年、300年、500年がどうなっていくのか。

子孫のために自己を磨いていきたいと思います。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です