私の好きなもの

自分の好きなことを掘り下げてみると、自分の得意なことや興味関心があることに気づきます。その好きなことというのは、単に物質的な好きなものではなく具体的に取り組んでいこうとする気持ちの好きな方に自分の本心があることにも気づきます。

例えば、私は小さい頃から発明が大好きでした。自分にしか観えないものを形にしていくのは気持ちがよく、それが何の役に立つのかわからなくてもなんでも創造していました。また大人になると発明は多種多様になり、調理なども好きで様々な組み合わせで実験したりして楽しんでいました。今でも、何か新しいことをするのが好きなのは発明したいからです。

この発明の意味は辞書には従来みられなかった新規な物や方法を考え出すことであるとし、また自然法則を利用した技術的思想の創作のうち、高度なものともあり、物の道理を明らかにするものともあります。

私の興味関心は自然にこそあり、人間の知識ではなく自然そのものを明らかにしたいということが好きであることがわかります。本当のことを知りたい欲求や、元々がどうだったのかということを学びたいという願望はとても強いように思います。このかんながらの道ブログも、元来の道を探るために日々に深めているものでもあります。いついかなる時も、自然を観察して自然の道理を読もうという意味では自然科学者に憧れたのかもしれません。三浦梅園先生を尊敬するのもその根っこのところの共感にあるようにも思います。

また他にも好きなことといえば、浄化することです。この浄化は、今の言い方ではシンプルにすること、洗練させることです。磨くことといってもいいかもしれません。何かを為さなくても、日々に磨いたり洗練させたりシンプルにするのがとても好きです。もっと言えば、本物が好きともいえます。本物にしたいのです。

この本物というものの定義は自然になるということです。不自然を正して自然に帰す。先ほどは、発明ということで自然を知りたい願望でしたがそのあとは自然を知って自然に原点回帰したいという願望です。それも単にむかしに戻すというようなことが自然とは思ってはいません。今更縄文時代にというのは不自然です。今の時代に産まれているのが自然ですから、今の時代でもどうあれば不自然ではないかを試行錯誤するのが好きなのです。

それを突き詰めていたら、暮らしフルネスになっていくということでしょう。そう考えてみると、好きなことをやっているものです。せっかくなのでそれを世の中のために役立てようとして、それが仕事になるものを探しているということです。世の中の人に貢献するために発明していますが、なかなかこの発明が時代に適合するのには時間がかかります。

引き続き、それも楽しみ味わいながら発明の人生と自然の道を歩んでいきたいと思います。

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