シンプルなもの

シンプルなものというのは洗練されているものです。言い換えればそこには嘘がありません。嘘とは何かと定義すると色々とありますが、簡単にいえば何かを盛っている、足しているともいえます。嘘も方便という言葉もあります。これは便宜的にスムーズに事が運ぶために嘘も役に立つという意味で使われます。つまりは、嘘というのは本当のことではないということです。

では本当のことは何か、それはとてもシンプルなものです。つまりそのままあるがままの姿であることです。例えば、健康というものも何か特別な健康食品を食べたら健康になるかというとそうではありません。シンプルに当たり前に自然に学び、自然の力が入るように育てられた風土の旬のものをその素材のいのちが壊れないようにして食べれば健康を保ちやすくなります。

しかし実際には都会的な生活で風土からも離れていますからそんなことはできないと健康食品やサプリが流行ります。健康を手に入れるためには、そういうものを摂取しないとと大量にドラッグストアやコンビニで栄養剤や健康食品が流通しています。また偉い先生と呼ばれる大学やその道のプロや専門家が、それぞれに効能や特徴、効果などを科学的に分析し、地味な成果を少し「盛って」話をします。それが嘘になっているということです。しかし口をそろえて、嘘も方便といいますから結局この方便を使うというのが嘘ということなのでしょう。

テレビや報道、ありとあらゆる情報は少し盛っています。なのでそれが当たり前になっている世間では、嘘が当たり前で本当のことは面白くもありません。方便が上手な人たちが世の中では目立ち、注目されます。それがバレないようにまた別の方便を磨いていきます。まるで方便合戦です。

そういう私も、会社で営業をしていた期間も長く、また大勢の人に話をする機会が多かったから相手が喜ぶように、またみんなが感動するようにと努力しているうちに話を少し盛る癖がつきました。しかし、歳を経て、色々なことを体験し、徳を積むことなどに真摯に取り組むようになってくるとこの方便が自分を苦しめることがわかってきました。

自分が少し盛る癖があると、その分、本当のことやシンプルなことに自信がなくなってくるのです。もっと周囲が喜ぶようにや感動するようにとやっていると、何が本当で何が嘘かがわからなくなるのです。

実際の人生を顧みると、波乱万丈なことばかりでそれをそのまま伝えた方がみんなが驚きます。そこには嘘がなく、特に盛るわけでもなくあった事実をありのままに伝えるだけです。これは自然でもあります。他にも、私の場合は古民家甦生や自然農など他にも自然物を使って色々と発明するのでそれをそのまま伝えた方がみんな驚かれます。そこには盛る必要もなく、ただあったことを伝えるのみです。すごいと見せる必要もなく、ただそれをシンプルに伝えるだけです。

本物というのはとても力があるものです。なぜなら嘘がないからです。嘘で塗り固められた本物風というのはどうも嫌な香りが匂ってきます。そこには心地よい余韻もありません。

子どもたちは刷り込みがないからこそ本物がわかります。子供だましのような世間とは別に、子どもに誠実に子どもに方便を使わないでシンプルなものを伝承していきたいと思います。

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