ゴミ問題

ゴミ問題というものがあります。人が一人でも生活すれば大量のごみが出ます。遺品整理の片付けなどをすると、その人がその時点まで生きて蓄えたものが出てきます。主には、寝具関係、食品関係、家具類、家電製品、洋服、仕事関係や趣味のものや思い出の品々などがあります。その量はいくら整理しても一人の人間が生活する中で必要なものは最低限のものでも相当な量です。

これをゴミにして廃棄しますが、これを全人口で考えてみたら想像を絶する量のゴミを日々に焼却していることがわかります。焼却できないものは、土の中に埋めています。少なくても明治頃から石油製品を使うようになり、ゴミの量は凄まじい勢いだったと思います。

いくらゴミを分別しても、生産している量があまりにも多いととてもバランスが保てません。環境問題というのは、人間の問題ともいいますが実際にはこの社会システムをはじめ今の文明の仕組みそのものを見直すところから考えないといけません。

本来、テクノロジーは自然物を使いゴミを出さないように生産することはできるはずでした。それがいいものをつくる事よりも、お金を使うことに集中するために「いいもの」が消費するためのものになっていきました。消費する生活は、それまでの生産する暮らしを破壊していきました。この時の生産とは、消費のための生産ではなく消費することの生産のことです。

例えば、自然界は生産はして已みませんが消費はしていません。それぞれが循環のなかで生産をしては他の生産を助けています。自然農などはまさにその循環の仕組みの中に人間が入ったものです。

しかし現代は、生産よりも消費することに力を注ぎ循環を途絶えさせていくことでお金を産み出しそのためにお金を使います。お金というのは、それだけ消費のために必要不可欠な存在になり消費するための最大の道具として活用されます。

みんながお金を消費するのは何のためか誰のためか、それはゴミをよく見つめていると思うことがあります。ゴミにはその時代の人間の扱われ方、扱い方が洞察できます。今の時代の人間は社会でどのような扱いになっているか。そもそもゴミを消費する側ばかりに目を向けますが、ゴミを生産する方のことも考えなければなりません。ゴミ箱に蓋をしてあとは埋めてはみなかったことにするという考えではこの先の子孫の世の中はゴミだらけになってしまいます。

結局、ゴミを見つめるとそこに生き方が存在していることに気づきます。

ゴミを出さないというのは、ゴミを産み出さない、ゴミをつくらないという生き方を実践するということです。先祖代々のものをなるべく末永くまで大切に活かすようなものを伝承したり、日本人の精神性としてもったいないやよみがえりなどを日々の暮らしの中で取り入れていくことなど、色々とできることはあるものです。

そういう自分も毎日、何かを買えばそこにゴミが出てきます。お金を使うところにゴミがあるのです。ゴミが発生しないお金を使うこと、それもまた私の徳積の使命の一つです。

丁寧な暮らしの中で、色々とあり方、生き方を磨いていきたいと思います。

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