暮らしフルネスとは何か、徳積とは何かということを再び整理しています。暮らしフルネスは、もともと暮らしとマインドフルネスの造語で、足るを知る暮らしと訳していますがこれは徳を積むための手段の一つでもあります。そして徳を積むのもまた手段の一つです。
何の手段かといえば、調和のためのものです。
調和は自然との調和ということです。人間は人間のみを優先し、自然から離れてしまうと不調和を繰り返します。現在の自然環境の破壊や汚染はすべてこの自然との不調和から発生しているものです。
自然との調和とは、人間が自然の一部としてお互いを尊重しあって成熟していることで実現します。先人たちはその成熟の成果として暮らしの中で様々な智慧を伝承してきました。自然の一部としての自覚をもって自然との調和を大切に持続可能な生活を信仰のレベルで行ってきました。つまり自然と一体になった暮らし、いのちが輝くような生き方を通して道を結んできたともいえます。
そして人間社会で発生する様々な争いや不調和を乗り越えてきました。人間は自然から乖離して差別することで悲惨な人災を増やしていきます。自然災害とは異なり、人災は悲惨で諦めもつきません。復讐の連鎖は人の間で繰り返していき、真の平和はなかなか訪れません。
徳積というのは、いのちが輝くためにいのちを磨いていくことです。例えば、生活即信仰や道場のようにいのりのように暮らし、自然の一部としてのいのちを生きて本来の人間性を高めていくことです。
そのために私たちは先人たちの遺してくれた自然との調和の智慧を自分たちも実践し、子孫へと伝承していくことです。それが手段としての暮らしフルネスと徳積ということになり理想は徳積循環を実現することです。
徳積循環とは、自然あるがままのことでもあります。自然はあるがままにして調和します。調和しないものは存在しません。みんなが調和するように暮らしています。私たちは活かされていることで生きていくことができます。活かされているという事実を直視するとき、自然との調和は必然であることは自明します。
文明というのは、自然から遠ざかることではなかったはずです。どのような存在とも、お互いを尊重し合おうという実践のはずでした。尊重しあうことをやめた先の文明は破滅しかありません。思いやりや配慮、助け合いや譲り合いは人間性の根源です。
場の道場に来て、場を感じてもらうのは、場を通してこれらのことを体感して何かが変化する切っ掛けになればいいと思っているからです。調和というのは、言葉でも文字でも教えることはできません。
だからこそ「場」が必要なのです。
そして同時に仲間も必要です。そこに道があるからです。仲間集めをする理由は、同じ目的に向かって精進しようとする人たちが道を拓いていくからです。小さな一歩でも、しつこく歩けばそのうち参道のように調っていくものです。
コツコツと歩み、未来の子どもたちに伝道していきたいと思います。
