徳を磨くことの一つに天分天性を観るというものがあります。この天分天性とは、産まれ盛った性質や能力のことです。その人に天が与えた徳とも言えます。もともと持っているもの、無理しなくても自然にそれができてしまうというのもその一つです。
例えば、人徳というものがあります。これも後天的に磨かれるものと先天的に持っているものがあります。後天的なものは、産まれたあとに身に着いたものに対して、先天的なものは産まれる前から具わっているものです。
この両方をよく観察してその人の今と傾向性、方向性や徳の本質を見つめます。
表面に見えるものと、その深奥にあるものは丸ごと観察すると天性や天稟を直観しやすいものです。
そもそもいのちというものは、それぞれに唯一無二の役割があります。その役割は産まれたもったものと産まれたあとで変化していきます。つまり役割はご縁やつながり、関係性の中で無数の組み合わせが存在していきます。
これは調理などと同じです。
それぞれの具材を組み合わせて、調和して一つの調理ができる。味わい深いその味には、それぞれの徳が見事に役割を発揮したものになっています。
調理といっても、加工して美味しくするものと、自然の味が引き出されるようにしていくものがあります。私は後者が好きで、炭火や湧水をつかい丁寧にそのものの味わいを楽しみます。つくりだすことができない、操作できない、そのものの味を引き出していくために時間と手間暇をかけていきます。
これは人間も同じです。
人間が育つのを待つのは、そのものの徳が引き出されるのを待つのに似ています。時間をかけて手間暇をかけてその人の徳がにじみ出るようにしていく。そして偉大な役割を持ち、天命を発揮していく。その美しさ味わいは格別であり、此の世に生を受けた喜びを感じます。
一人一人が誰もがそのように徳が発揮され調和する場を世の中につくっていくことは、私の天分天稟とも相性がよさそうです。
自分らしくや自分あるがままという人生は、徳を磨き天分を発揮して役割を全うしていく生き方のことです。
子どもたちが安心して育つ場が増えるように、天の道を学び続けていきたいと思います。
