遊び心

真面目(まじめ)というものと傾く(かぶく)というものがあります。

真面目というものをgoo辞書で調べれば、( うそやいいかげんなところがなく、真剣であること。本気であること。また、そのさま。 真心のあること。誠実であること。)と書かれています。また、傾くということを調べてみれば(かたむく。頭をかしげる。勝手な振る舞いをする。奇抜な身なりをする。)と書かれています。

人はもともと誠実であるから、何の疑いもせず今のこの世の中の仕組みの中で生きているともいいます。もともと生まれてきた世界が、今の目に映るものであったのならば最初からその中にいればそれを疑うということはしないものです。

しかしそのような常識を敢えて疑ってみてみると、実際は本当にそうだろうかという頭を傾けるようなことに数々出会います。

例えば、一度広い世界に出てみれば自分の国との違いから今までの自分の人生の価値観では常識だと思っていたことが一変して覆されるようなことに出会うこともあるのです。今までは当たり前と思って気づきもしなかったものは、実はそれは当たり前ではなかったと気づくようなものです。

これは別に目に見える世界だけに限ることではなく、心で観える世界にも通じる事です。

今までは当たり前だと思っていたことが実は当たり前ではなかったということにです。それに出会ったら人はどうなるのでしょうか。そうして出会い、気づいてしまったら、いくら元に戻ろうにも戻れない感覚になるのです。観えてしまうということでしょうが、目から鱗が取れるのです。

人は生きていて、何かに気づく人と気づかない人がいます。

それは本質を生きようとするのか、それとも長い物には巻かれた方がいいとあるのか、それはその人の自由の選択の中にあるのです。しかしもしもその当たり前がおかしなことになっていて苦しんでいる人がいたらどうするのでしょうか。

あまりにも真面目になっていようと囚われると、そういう当たり前に気づきにくいともいえます。

例えば、アメリカの人達が、痩せたいからとダイエットコーラを飲んで、健康だからとベジタブルバーガーを食べ、栄養素を確保したいからとサプリメントを大量に摂取し、疲れた体を癒すためにエステやジムに通う。

そういう話を聴いてとても不思議に感じる人はすぐに感じるものです。

もともと痩せたいのにダイエットコーラという発想自体が、バカなほど真面目に取り組んでいるときっとそうのようになるのだろうと思ったのです。本来、もともとどうであったか、本質とは何かがわかれば以上のような発想にはいきません。そこには既得権益として様々な業界の仕組みや政治制度が複雑に絡み合い、何がどうなっているのか分からなくなっているのです。

しかし真実というものは、気づける人には気づけて気づかない人は一生気づかないのです。

如何に自分たちの常識が非常識で、自分の常識がもっとも真実になるのか。
それは自らの刷り込みの脱却にこそあると私は思います。
そしてそれを東洋では中庸であるということだとも思えます。

今の時代は主軸をしっかりと持って多少は傾いていかないと世の中には伝わらないものです。
その主軸とは、思い込まないで決めつけないで素直にいることだと思えるのです。

今は青春のように楽しみに満ちていて、ワクワクドキドキがいっぱいです。

あまりバカ真面目にならないように、遊び心を大切に子どもと共に傾いていきたいと思います。

 

  1. コメント

    かぶくは自身を誇示し実践を貫くための一つの手段のように思います。漢字で書くと「傾く」となり、斜に構え人の意見を受け流すように、物事を見ているように思います。真面目さの中に遊び心を取り入れ、受け止め方の幅を拡げていきたいと思います。

  2. コメント

    ある意味での遊び心がないと、抜け出せない領域に入ってしまうというのが解ります。真面目過ぎるとどうしても100%を求めて行動しいつの間にか間違った答えを手にして自己満足している事がやはりあります。業務的に何かをこなすのではなく、心には常にゆとりと遊び心を持って仕事にも取り組みなたいと思います。

  3. コメント

    本質を伝えて行く為には本質だけで生きて行くだけではたりないのだと感じました。本質と現代の狭間を右往左往していくこと、
    しかもそれは本質について自覚を持ったまま行動するという事も大事なのではないかと思います。右往左往するからぶれや軸が明確になるのだと感じますし、実践で伝えやすいのだと感じます。ぶれた経験も、大事に活かしていきたいと思います。

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