思考の罠

仕事を観察していく中で、よく気づくことに新しく考えて進めなければならないことを「またいつもの癖で」とか「また同じように」などといって毎回あまり変わり映えのしない結果になる事がある。他にも、いつも何かをやった後に次はこれをしたいといつも「何かをやることの方ばかり」をいつまでも考えている人がいる。

これは以前の仕事で身に着けた指示を遂行するという「習慣」で仕事をしている人のことを言う。

これは別の例にたとえれば、日常の中での生活でも髭剃りや歯磨き、シャンプーなどいつも通りの流れにそって無意識に体を動かし取り組んでいるのと似ている。そういうことをするときはいちいち考えていないし、では次は歯磨き、では次はうがい、次は手洗いなどと、動作的なことを考えても本来の意味はもう何も考えてはいないけれど体は動く。

仕事も同じように単なる習慣の惰性でやっている人がとても多い。これは考えてから取り組んでいるのではなくて、取り組むことを考えていることになる。

本来、仕事とは考えてなければ生産性も効果も効率も善くならないものだし、さらに言えば責任を持つ仕事はどれも考え抜かれたものでなければ最終的に望ましい成果が出るということもない。

つまり、私はこの「考えながら動く」ということはとても大事なことだと思っている。

もう一つ念のため例えれば、営業の仕事があったとする。これも考えてますと言って何を考えたかと尋ねればスケジュールやトーク、段取りなどのことばかりを話されることがある。しかし当然考えたかというのはそういうことではないのはお分かりになると思うけれど、本来考えるとはそういう動くことを考えるのではなくそれ以前に何のためにということを考え抜いたかということを言う。

では考えながらとは具体的にはどのようなことかいくつか紹介すれば、私ならそれは本当にこれをやることは全体のためになるのかを持ち続けること、この今、取り組んでいるものは本当に全体にとって最優先のものなのか、これは自分にしかできないことか、さらにはいつまでにどのようにやり遂げることがもっとも価値のあるタイミングなのかということなど沿考え抜くことを言う。

それの共通理解を図るものに企画書があるし稟議書がある。

他にも考えながらには、根本のビジョンや理念に沿っているかや相手や周囲が心地よく感じているか、独善的ではなく総合的に取り組めているか、先々の展開はこの方向で間違いないかなど、「考えながら」は非常に多岐に及ぶ。

それを社員一人一人が考え抜き会社全員で侃々諤々とディスカッションをし、納得がいくまでやっているからはじめて考えながら仕事をしているといえるようになるものだ。

しかし通常は、人はそういうことをしたくないから怠けるしいつまでも考えようとはしないもの。過去の習慣でやった方が直近の一応の結果も出せるし、何もしないよりはましだと妥協している方が何かと必死にやれたという実感もあるし一応の評価ももらえる。

その陰に潜む一時的な楽に乗っかれば、実は思考の罠に陥ることになり、そうなればいつも習慣で惰性で働くことが癖になってしまうので注意がいる。常に考えないで仕事をいつまでもやっていたら本当に価値がある最高の成果を出すことは永遠に不可能であると私は思う。

早めに自分のその思考の罠ともいうべき、「考えない」癖を直す必要がある。

では具体的にどのように直すのかと言えば社員一人一人が真剣に考えることだけれど、日々ではまず言われたことだけをしないことだったり、本質的に取り組めているかを常に確かめながら進めたり、プロセスに責任を持つことや、経費よりも数倍以上の価値の高い成果を出すことや、会社の問題を自分の問題にすることなど、これもいくつかあるけれどシンプルに言えばサボらず怠けずちゃんと「考えればいい」だけなのである。

サボりや怠けは、動くことを言うのではない。努力の方法とは、ただ闇雲に必死にやりましたというのは正しいやり方ではない。本来、サボりや怠けとは会社のことを考えないことを言い、努力の方法とは、如何に本質的に効果がある方法で取り組んだか、つまりは創意工夫するこが正しい方法なのだ。

会社も仕事も年々、変化していくし進化していく。昔の習慣ばかりを使って流されていては同じく年々考える力が衰え、気が付くと無機質に繰り返しているだけの指示を待つ作業員になってしまう。

一番恐ろしい思考の罠は、以上のように動くことのことばかりを考えていることを考えていると勘違いし本来、その前にきちんと仕事とは何かを考えてから動くということすら麻痺し意識することもなくなることであろうと思う。

常に現場は変化想像を繰り返しているし、時代のニーズも転々と変わってくる。会社は、いつもそういう変化の中で成長し続けなければ永続的な発展をしていくこともできない。

そして会社は生き物だからこそそれを全社員の一人一人が意識して取り組まなければ、大切な自分の生きる場所であり自らの道縁で得た無二の環境や本来の価値を守ることもできないと私は思っている。

トップダウンとは一見、とても強固な組織に見えるけれどその実はそうではない。誰か優秀な一人に依存しているというだけでありそんな優秀な一人に頼るようではその人次第でどうにでもなってしまうということでありそれは企業文化とは言わない。

本来、主人公は社員一人一人であるのだから一人一人みんなが本気で自ら考えなければ会社は正しく運営していくことはできないというもの。

常に、自分が考えているのかどうか常に自問自答しそして自分はどうするのかを明確に持つことこそ動く前の準備であることを知るべきだと私は思う。

ルーティンワークこそ考えて動いているものとそうでないものは長い積み上げにおいて結果がまったく変わってくるから特に注意しなければならないと思う。

どの職場でも起きやすいことだろうけれど、私たちカグヤはそういう会社ではないので特に一人一人がやってから考えるようなことにならないよう、考えながら動くことを重んじていきたい。

思考の罠に気づき、すぐに自らを刷新してほしいと思う。

  1. コメント

    私自身仕事を行う上でやはり表面的に見える動作の方ばかりに意識をし、本来大切にしなければいけない方を考え抜いていなかったのだと思います。特に最近思うのは、何か問題が起きた時に起きたことばかりにとらわれてしまい、本当は考えなければいけない問題のそもそもの原因に目を向ける事が出来ていないという事です。結果的に同じ事を何度も繰り返し自分自身で言えばお客様をはじめ多くの方に迷惑を掛けてしまっています。どうしてもすぐに動かなければと思ってしまいがちですが、本当の問題は起きている事ではなくその先にあるという事。この当たり前のことを実践にしていきたいと思います。

  2. コメント

    仕事ができるようになりたいとか効率よくスムーズに進めたいと思う気持ちは誰しもが持って
    いることだと思いますが、うまくやれるようになるとルーティンワークになってしまい、
    心を使うことが疎かになってしまうのだと感じます。
    こういう流れがマンネリ化を生んでしまい、その仕事の持つ本来の価値から逸脱し、本末が
    入れ替わってしまうことにも気付かず、あるとき事故に繋がってしまうのだと思います。
    仕事に心を使うことは大切なことですし、自分も他のサービスを受ける時に、心を使わず
    マニュアル的に対応されたときに不愉快な思いをしますが、日々の振り返りの中であらためて
    いきたいと思います。
    大学にある日新たにという実践の難しさを痛感します。

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