不安定

よく健康的な人と言われる人と、不健康な人と言われる人がいます。

病気でも健康な人もいれば健康でも病的な人もいるようにここでの健康と不健康とは単に病気かどうかではないことが分かります。

本来、健康とは何かと言えば心体精神のバランスが安定していることを言うのです。

常にその3つはバランスを維持しています、感情が波立てば心を落ち着かせ、体が波立てば精神を穏やかにしたりと言葉で書くことは難しいのですが、常にバランスを維持するために自分の状態が安定するようにと努めるのです。

そしてそれを司るのが呼吸ですが、呼吸を調えていくことで心体精神の状態も落ち着いて調和していくものです。

よく不健康に見える人がいますが、これは不安定になっているということです。何か体の調子が崩れれば、心や精神を落ち着かせればいいのですがそれができないのです。また精神の状態が崩れれば、心や体を落ち着かしていけばいいのですがそれもできないのです。

心身の調和というものを維持していくには、遠くを見ないといけません。

なぜなら焦ると身近しか見なくなるからです。不安定のほとんどの原因は調子を崩すことで近視眼的になってしまうからです。以前、師から船酔いするのも車酔いするのも近くばかりを見過ぎるからだと言われたことがあります。

そういう時は、遠くを見ること、しっかりと頭を固定し遠くを見つめて運転をしていくことで酔わなくなっていくのです。

人は焦ると不安になります、不安になることを不安定になったとも言います。不安定とは不健康のことです。不健康になるのはすべては不安というものから発生してい来るのですが、この不安は疑心や不信から来るものです。

如何に信じるか、如何に安心するかは、勇気を出して真心を盡したり、相手を思いやり真摯に取り組んだりと自分の感情よりも優先するものを持てるかどうかにもよるのです。

人は自分を守ろうとするよりも、誰かを守ろうとするときや何か自分を超えた大切なものを守ろうとするときに私的な感情を乗り越えて使命を発揮していけるものです。そういうものを持つことでより信じる力を育てていくことができるように思います。

感情も自分、感情以外の心も自分ですから、如何にバランスよく付き合って育てていくのかが課題のように思います。不安定であるというのは、安定を求めて努力しているともいえます。だからこそ、安定を目指して精進していくことは自分の人格を形成している最中と思えばいいように思います。

不安定になった時こそ、そういうものだと受け容れてそのままでも最善を目指していくことで日々に自分と正対して自己を研鑽していけるように思います。すべての体験は自分と向き合う善い機会と捉え挑戦していきたいと思います。

  1. コメント

    健康も人間関係も家庭も組織の運営も、すべて「バランス」で成り立っています。「バランスを崩す」のは、何かにとらわれ、どこか「素直さ」を欠くからでしょう。また、健全であれば、バランスを崩してもすぐに戻すことができますが、戻す力が正常に働かない場合は、自己中心など根本的なところに問題があるようです。日頃の体調不良やコミュニケーション不足なども、この「バランス」という観点からとらえ、問題の本質を見誤らないようにしたいと思います。

  2. コメント

    「これでいいのだろうか、このままでいいのだろうか」と思うことがありますが、健全なことなのだと感じました。不安に思うから安定を求める活力になり、その活力のおかげで次に繋がる結果が生まれると思います。結果善かったことになるのは、その繰り返しがあるからかもしれません。不安定は次への後押しと捉え、次への一歩に繋げていきたいと思います。【●】

  3. コメント

    結婚前、結婚後、子どもが生まれてから、、と振り返ると、順々に健康的になって行ったことを感じます。自分以外の事を思う機会とは、心を健全に使わせて頂く機会なのだと感じます。心を循環させる生き方をいつも大切にして行きたいと思います。

  4. コメント

    健康診断のために朝食を抜いて来ただけで習慣化されたものが崩れ頭の働きが鈍くなったように感じると、改めて毎朝の食事に支えられていることに気付かされます。心や精神は乱れやすいからこそ、まずはこの健康診断の機会から体のバランスを見直していきたいと思います。

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