樹霊~偉大イチョウ~

樹霊を深めていく中で、種の不思議な力を再発見します。

世界には巨樹というものがたくさんあります。それは数百年から数千年をかけて、長い年月で育ち存在する木々たちです。あらゆる時代の風雪に耐え、あらゆる困難を乗り越えて大地に根をはりその土地を見守りつづけています。

先日、樹齢200年の銀杏の巨樹を眺めていたらその前で頭を下げて通り過ぎる人たちを見かけます。人間は、御蔭様に気づくとき何があるのかわからないけれどいつも見守ってくださっている存在に御礼や感謝をしたくなるのかもしれません。

ただ立っている木にどうしても頭を下げたくなるのは、そこに棲む鎮守の使命感に感謝の心が感応しているのかもしれません。

私はこう思うのです。

一番最初にその種を蒔いた人がいたこと。その人がどのような願いを籠めてその種を蒔いたのか、そして稚樹から育て花をつけ実り、それを毎年毎年繰り返し見守っていく中でその樹は見守る存在になったのではないかと。

巨樹というのは、それだけ長い時間、人々の願いや祈りを共にしてきた存在なのです。

あの巨樹も一番最初は小さな種からはじまり、それがあれだけの偉大な存在になっていく、そこに願いに生きること、祈りを信じることの大切さを伝えている気がするのです。私の願いもあの大イチョウのように人間を信じたいと思うのです。

そのことからその大イチョウの種を分けていただき今では私の傍で芽生えてくれています。その幼い姿に自分の境遇を感じて、心を励ましてくれています。樹霊のはじまりは、その種に気づくということなのでしょう。

最後に私の好きな先生の一人、東井義雄さんの「大イチョウ」の詩があります。

「校庭の、天にそびえる大いちょうも、昔は一粒のいちょうの実だったんだ。一粒のいちょうの実に、あんなにすばらしい大いちょうになる力がかくれていたんだ。君の、あなたの体の中にも、すばらしい未来をつくる、不思議な力がこもっているんだよ。それらが、芽が出たい、芽が出たいとウズウズしているんだ。めでたい、めでたいと叫んでいるんだよ。今年は、その芽をぞんぶんに伸ばしてみせる年にしようではないか。さあ、どんなすばらしい芽を出させてみせてくれるか、楽しみでしょうがない」

これは子どもたちにお年玉としてイチョウの種に顔を書き、その中に添えた手紙の抜粋ですが今ではその種が樹霊となり偉大なイチョウになってこの国のあちこちに芽生えてきています。

私の信念も理念もまだまだヨチヨチ歩きの幼児のようですが、その心には人間を深く愛する真心があります。いつの日か、長い年月を耐えうるような根を持ちたいと願い日々に向き合うのみです。

『子どもから おとなが生まれる 子どもから 新しい日本が生まれる 子どもから 新しい世界が生まれる 子どもこそ おとなの父』(東井義雄)

世界の巨樹は必ずたくさんのいのち、子どもたちの未来を見守り続けてくれています。どんなに他人が自分を分かってもらえなくても気にせずに子ども第一主義を信じて一歩一歩の道を前進していきたいと思います。

 

  1. コメント

    目を離さず、手を放す。その実践を午後から行い、感じるのは
    「信じ切る」ということであり、信じ切るということは「相手に左右されない」ということなのだと気づきました。しかし、まだまだ足の指一つ進んだような実践数の為、「求めない」ということも大事なのか、、、と分からないままですが、実践の中で気づくことなのだと思います。今がずれていようとそれは自分の中での「今まで」にない世界へ飛び出している証拠だと喜び、新しい気づき、世界、価値観へ飛び込んでいきたいと思います。

  2. コメント

    森信三先生は、「老木の持つ美しさに心惹かれる。巨然たる老木を見るごとに、常に生涯を通して道に徹した優れた人々のことが思われてならない。それは、風雪によって鍛えられた風格と、その人からすべての甘さを削りとった精神的気品が自然と滲み出ているからだ」と言われました。樹齢30年と樹齢200年の違いはそこにあるのでしょう。永い永い年月、風雪に耐え続けている姿には、修養によって鍛えられた人間が神と一体となるような瞬間があるのかもしれません。少しでも近づきたいものです。

  3. コメント

    種が蒔かれ数百年根付いた地で根を張り続ける巨樹はどんな気持ちなのだろうと思います。入社して4年ですがそれでも随分長く時間が経ったように感じますが、この何十倍と思うと不思議な気持ちになります。木に立ち寄る鳥や虫たちはパーキングエリアで一休みしているのでしょうか。巨樹のような安心基地になれるよう、一つひとつを大事にして行きたいと思います。【●】

  4. コメント

    心が働かなくても生きることが出来てしまう人間と、心はないようでも見守りをくださる樹木。頭のせいで分からなくなっているものを、自然から学び直さなければならないのかもしれません。謙虚に、謙虚に、願うだけです。

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