観察眼~心の実力~

外は急に寒くなり、雪も降って冬景色です。

動物たちは小さく丸くなって寒さをしのいでいますが、人間は数々の暖房器具、防寒衣服に包まれてぬくぬくとしています。

今は水も水道をひねればすぐに出てきますし、火もガスコンロを回せばすぐにつきます。また空調によって室内の温度も自由に調整でき、食べ物はコンビニに行けば何でも買えます。調べたいものがあればインターネットで検索できるし、買い物もボタン一つで購入しそれがすぐに自宅に届きます。暇があればテレビをつければ娯楽番組が流れますし、音楽だって聴きたいものはすぐにダウンロードできる時代です。人間関係も同じく、お金さえあればと面倒なことを避けて関わっている人も増えています。

少し羅列してみてもそこに何の不便さもなく、「便利」に囲まれて生きていると言っても過言ではありません。これらの便利さと引き換えに失ったものの本質は、じっくりと考えて物事を判断する観察眼ではないかとも思えます。

年越しに火を焚き、薪をくべ満天の星空を眺めながらゆっくりと思想に耽る時間がありました。昔の人たちは変化をじっくりと考える時間があり、物事の判断をとても長いスパンで検討して決断をしてきました。今は、情報化社会の中で何でも簡単便利に迅速に快適になることが何よりも優先されています。欲望を中和するような時間も持てず、目先の快楽のために精神が怠惰に流されてしまうのかもしれません。

観察眼とは、心を感じる力です。

心で感じたり、心で動いたり、心で取り組むという心の力、言い換えれば真心の実践を行うには観察眼がいるのです。相手と心を通じ合わせたり、全体のために心を配ったり、心を籠めて丁寧に接するというのは、そこに心が入っているのに気づきます。

心無いことをしたり、心を入れなかったり、心がけもなくなれば、頭でわかった気になり過去の知識からこんなものだろうと忙殺してしまいます。心は目には見えませんから気づこうとしなければあっという間に観えなくなるものです。心で観るという習慣を持つには、自分が心をいつも遣っていく生き方をしなければなりません。それはよく面倒くさいといって人が自分からやりたがらないことを敢えて自ら進んでやることでその観察眼が磨かれるのです。

森のイスキアの佐藤初女さんにこういう言葉があります。

「私、“面倒くさい”っていうのがいちばんいやなんです。ある線までは誰でもやること。そこを一歩越えるか越えないかで、人の心に響いたり響かなかったりすると思うので、このへんでいいだろうというところを一歩、もう一歩越えて。ですからお手伝いいただいて、「面倒くさいからこのくらいでいいんじゃない」っていわれると、とても寂しく感じるのです。「(おむすびの祈り 集英社)」

心を失い、心を遣わないでいるとすぐに人は不安になり不信になり自我感情に呑まれてしまうものです。平常心や心の平安は常に心を感じるから視野も広くなり絶対安心の世界に住むことができます。

観察眼とは手間暇の実践です、手間暇という心を遣うそのひと手間こその中に心が籠っているからこそ「実践」を蔑ろにしてはならないと改めて思います。「凡事徹底」という言葉も、心を遣い観察眼を磨く智慧の一つということです。

人間生活の中でいくら面倒と感じても御蔭様の心を持ってもうひと手間ができるようになれば心の実力が備わってきていると考えていいと思います。今年も、雑さを戒め、自然の精妙さと丹精をモデルにして心がけ、かんながらの道を求めていきたいと思います。

  1. コメント

    年末に、我が家の包丁のうちの4本を砥石で研ぎました。簡単なシャープナーでやれば、ある程度までは簡単です。しかし、自分の腕も、磨くという実践も深まりません。やればやるほど、上手く行かない中でも、研げているのか、下手を打っているのかわからない中でも、やり続けて見えてくる物がありました。予想ではなく、現実から振り返り、切れるようになったか、バリはでたか、とやってみてからの振り返る眼差しが大事であり、それよりも意味を信じてやり尽くすことだと感じました。今年も走り続けたいと思います。

  2. コメント

    「手間暇をかけ、雑に扱わない」ということが、ほんとうに生かすために大事なことであると感じています。これに対抗するのが「面倒くさい」という考え方であり、すべてのチャンスをダメにする態度であると戒めています。もうひとつ、「効率」という考え方とも闘わないといけません。「簡単」「便利」「早い」「安い」という価値観に対抗するには、「面倒がる」「手間を惜しむ」「待てない」「損得で判断する」といった既に染み込んでしまっている自分自身の価値観に気づかないといけません。数値化できない「心遣いの価値」が、どうして「数値化された効率」に取って代わられているのか?!そこを押さえないといけません。

  3. コメント

    「面倒くさい」言葉にして発することは気をつけています。ですが心の中で呟いたり、ふと思ったり、楽な方を選び自ら楽しさから遠ざかっているのだとも感じました。この言葉が思い浮かぶたびに鍛錬の場が用意されるのだと思うと、そう思い浮かぶのは決して悪くないのかもしれません。面倒くさいと思ってから、遊び心で楽しいに変換するのはよほど心を遣うことですが、そんな時こそ流そうとする自分を戒め、一つ行動に変えていきたいと思います。【●】

  4. コメント

    今年のテーマを「勇」と決めていますが、勇といえば「義を見てせざるは勇なきなり」があります。この言葉も今までは自分の良心を欺かないという感覚でいましたが、実際に日々に取り組んでみると、実はこの「面倒くさい」も、心に思ってはいながらそれを行動に移さないという点で勇気がないことなのだと気づきました。大きな意味を含んだ今年の一字ですが、初詣の際のおみくじでは七福神の「毘沙門天(勇気)」を引いたことから、何か大きな力が後押しして下さっているのだと感じます。昨日も行動の多い一日でしたが、ただ動くだけでなく心を入れていきたいと思います。

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