理想の実現

人は答えが分からないから不安になるけれど、それは最後まで遣り抜いていないからだったりもする。

本気とは何か、それは続くことである。
そして続くとは何か、それは遣り抜く意志であろうとも思う。

人生も等しく、途中では分からないから謎であり不思議なのである。

人生の最期に、遣り抜いたときこそ「ああ、あれはこういうことだったのか」と分かるのではないかとも思う。

しかし今の時代は、先に分かってしまい何でも中途半端にする人たちが多い。

先日、自宅の玄関アプローチを創造した。

時間が経つと、木も傷んでくるから新しいものへ変えたりペンキを塗り直したりもする。今までのものを修理するのもいいけれど、今の自分がどういうものかそれを上書きする方が私にとっては面白い。

それを創るのだけれど、枕木を買ってきては配置し、石を持ってきては配置しと、周りは何をやっているのかは分からないのである。

しかしそれが次第に姿を顕してくる。

最期には、どのようなイメージだったのかというのをはっきりと明確に理解でき感動をするのである。何かを建てるというものも、自分の理想を実現するというものもこれと似ていて同じように取り組むのである。

途中では分からないからこそ、イメージをあわせてどのようなものをしようとしているのかということを理解する価値があるのでもある。もっとも大事なことは、その理想形を自分も観て感動するには最期まで遣り抜かなければ観えないのである。

そしてこれは道も同じく、遣ると決めた以上は途中では投げ出せないのである。

その道の先に広がっている世界が観たいのならば、最期まで遣り抜いていかなければ実現しない。それが壮大であればあるほど、何代もの意志を貫き、「ああ、これだったのか」とはじめて感動し理解できるものである。

志とは何か。

最期まで遣り抜く強烈な信念のことでもある。

すぐに何かと比較してわかってしまい諦めるというのは、信念の問題である。

常に自分らしく、理想を追って生きる姿を子ども達には見せていきたい。

  1. コメント

    理想の形や夢のある話を自分自身もっとしていかなければ、出来るところのみしか手を出さないようになると危機感を感じました。描いている理想に向かうためには、日々進化し続けなければならないことを感じます。自分で決めたことが、続くよう理想を思い描き形にしていく実践を積んでいきたいと思います。

  2. コメント

    いくら聞いても解らない事は沢山ありますが、同じ目標を持ちそれに対して実践し遣り抜く事でなるほどなと感じ形としても見えてくるものがあるのだと思います。生きていると今までのこれは一体何だったんだろう?一体何の意味があったのだろうと?と思う事は私の中ではありました。しかしそれは最初から深く考えていなった点と、最後まで遣り切るという事を決め遣り抜けなかったことが原因だと改めて感じました。又個人ではなく会社で考えた時にもどんな仕事にしても1人で出来る事はありません。周りと一緒に遣り抜くという事を考えた際に大事になってくるのが確認だと思いす。遣り抜く為にも確認を行っていくという事についてもう一度考えたいと思います。

  3. コメント

    人生で自分でやったことが在るもの以外は
    未体験であり、分からないことばかりであるはずが、
    どうもやったことある人の意見や知識でそれを補おうとしたり
    それを使って判断したりという事がまだまだ自分の中では多いのだと思います。
    自分自身がやり切った分だけしか、本当の心の成長にはつながらないのだとしたら
    知識は何のためにあるのか。それはやはり、自身の実践の為にあるのだと思います。
    自分の実践から学ぶことをより大事にしていきたいと思います。

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