台風が通り過ぎると、とても空気が澄んで空が眩いほどに光り輝いてきます。空に流れた濁流が水と一緒にあらゆるものを風とともに持ち去ってくれます。そのあと、またすべての生き物たちがゆっくりと出てきてはいつものように活動をはじめます。

太古の昔から今までずっと、自然は地球の一部です。

その地球の一部である私たちは言い換えれば自然の分け御魂です。分け御魂とは、その大きなものの一部であるということで地球そのものであるといってもいいのかもしれません。そして地球はまた宇宙の一部です。

そうしてみると、あらゆる気象の変化は私たちであり、そしてあらゆるいきものたちの存在も私たちだと言えます。みんな同じ一つを分け合っているのだからすべてのことに共感する宇宙自然を持っているということです。

これらの宇宙自然の感得というものは、尊敬により顕現します。

西郷隆盛は「敬天愛人」と言いました。

あらゆるものを尊敬し、その真心をもって人を愛すと。

宇宙をはじめすべての目に見えるもの見えないものもすべて尊敬しているか、当たり前のことを忘れて非科学的だとか宗教だとか言う前に本来の人間としての初心を忘れないで生きたいものです。

自然の中に在る分け御魂としての依代になれるよう、真心を澄まして洗い清めその魂を磨いていきたいと思います。

 

  1. コメント

    昨日、一昨日と雨が降ったり止んだり、風が時折強く吹いたり止んだりコロコロ移り変わっていました。天候が急転する度に惑わされますが、同時にあの人は大丈夫だろうかと心配な思いもよぎります。心を寄せる対象がいつも自分ではなく誰かである心持ちでありたいと思います。

  2. コメント

    『方丈記』に「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。よどみに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし。世の中にある人とすみかと、またかくのごとし」とありますが、この感覚は日本独特であり、西洋にはないようです。日本人は、自然災害よる「流れる歴史」を持ち、西洋の「積み重なる歴史」を持つ民族とは違うと言われます。また、西洋は「人為の国」であり、あらゆる建築物も自然も、人の手によらなければいささかも変化しないのに対し、日本は、自然が主人公の「天為の国」です。今回の台風でも、「流れる歴史」と「天為の国」であることの一端を感じました。「敬天」の意味を改めて深めておきたいと思います。

  3. コメント

    友人の後ろ向きな発言・姿勢に何とも言えない残念な気持ちがしましたが、自分もまた同じような時はあるのだと思います。ネガティブな状態とは、見守りやお陰様の存在に気づかず、見えるものしか見ていない状態なのだと感じました。そもそもは前向きなのが自然なのだと、本来の姿を信じられる自分でありたいと思います。

  4. コメント

    先日お会いされた方が、人を、他人を、嫌いな人を、虫を、木々を見下さないという事を野見山さんから聴き、その言葉に驚きを隠せません。
    人ですら、自分自身の価値観で見下してしまうのに、全ては中身は一緒。繋がっている。そう思えたら行動も生き方も変わるのだと感じます。もっと分け隔てのない生き方を求めて行きたいと思います。

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