神話の歴史~ヤマトゴコロ~

昨年からの貝磨きをキッカケに海との関わりが増えてきています。私たちは先祖には縄文時代の前に貝文時代というものがあったことが分かっています。貝殻を使って土器に文様を刻み、貝殻の装飾品を用いて黒潮を活かして交流をしていた時代です。

忙しさの中で1万年以上前のことなど思い出すことも少なくなってきていますが、先祖たちは山と海の間で、狩りをし魚を釣り、山菜を採り、貝を食べ、自然の変化の中で暮らしを育み私たちにそのいのちを繋いできました。

その前の時代はどうだったか、私たちのはじまりはどこからかは誰にもわかりません。しかし神話の中で、私たちがどのように誕生したのかを想像することはできるのです。日本書記や古事記の神話には、高天原神話、出雲神話、日向神話と分かれています。その中にある物語から、私たちの先祖が子孫へ伝えたかった歴史を感じることができます。

もしも文字や記録することができない時代に私たちがいるとします。するとどのように伝承していくでしょうか。私たちには本能がありますから、言葉や記憶に頼らなくても生きてはいけます。動物たちが自然に子育てするのも、生き物たちが自然に食べ物を見極めるのも、環境に合わせて移動するのも本能です。本能は自然と対話して、自然を物語として感受することができます。その自然がどうなっているのかを、先祖たちは自分たちの体験から遺して理解してきたのかもしれません。

日向神話では、神武天皇は山幸彦と海神の娘、玉依姫から誕生します。そして大和に移動してクニが誕生していきます。短い物語の中で、何が結ばれてその結ばれる中で何があったのか、そこに今につながる理由が存在します。複雑ではなくとてもシンプルな話の中には、膨大な量の情報が籠められています。

今のように言葉が氾濫する時代に生きているのが私たちですが、もしも自然の中で暮らしていくなら私たちはそんなに言葉や記憶は必要ないのかもしれません。自然の恩恵の中で活かされていく私たちですから、自然の依代を持ち、自然に見守られる中で暮らし続けることができる仕合せに生きていたはずです。

人間が自然から離れてだいぶ経ちますが、私たちの心のふるさとのことを思い出せるでしょうか。そのキッカケに海があり、山があり、貝があり杜があり、原始の頃のことを語る様々な自然がまだ残っています。

子ども達には、言葉や文字ではない神話の歴史、その自然の言霊(ヤマトゴコロ)を感じる心を伝えていきたいと思います。私たちが刻んだ歴史は、すべて自然との共生の中に存在します。授かってきた御縁に感謝できるままに、神話の物語を深めてみたいと思います。

 

  1. コメント

    致知出版社の「背負い袋の心」は読む度に新たな発見を得ます。散々偏差値で比較され、将来やりたいことを迫られ、自分という存在に訳が分からなくなる、そんな経験ばかりをしていたころに神話を聞き興味を持ち、そして読んでみると自分に自信が湧いてきました。歴史を学ぶことはどういうことなのか、そのことを学び活かしていきたいと思います。

  2. コメント

    民族の価値観は、「自然観」と「死生観」と「歴史観」という3つの柱によって成り立っていると言われます。「歴史観」とは「国家観」であり、建国の精神など自分たちの原点を知り、自分たちのあるべき姿の座標軸を持つことです。これらはすべて、単なる知識ではなく、生まれ育った環境や周囲の大人たちの日常の生き方から無意識の内に自然と伝えられてきたものです。いま一度、自分たちの生き方としての「座標軸」を持つべく、学び直してみたいと思います。

  3. コメント

    出張で日本のあちらこちらへお伺いさせて頂いていると、本当に日本という国は山と海に囲まれた自然豊かな国であることを実感します。子どもの頃に「でいだらぼっち」という話を近所の神社で観せてもらった記憶がありますが、土地土地の山の形を見ると、ふとそんな物語のことを思い出します。自分自身、もっと思い込みで観るのではなく、そのものを感じていきたいと思います。

  4. コメント

    先週、お台場の海を見て、触れて驚きました。自然の心はそこにはなく、オイルや汚物に溢れていました。今まであんなに汚い海に触れたことはなく、驚きました。自然を感じることも大切ですが、分けずに不自然を感じることも大切にして行きたいと思います。

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