自然への畏敬

自然農の畑で高菜の間引き作業をしていると、根元にテントウムシたちが越冬のために隠れています。よく木の皮に隠れている様子をみたことがありますが、高菜の根本にも何匹も隠れている様子に同じように越冬しやすい環境があるのだろうと驚きました。

何でも手作業をしていると、今まで見えなかったものが観えてくるものです。

今は何でも簡単便利に機械やお金で解決する方法で楽をして一気に効率よく進めることが良しとされる価値観があります。手間暇かかることを避け、出来る限り面倒なことは避けたいとエスカレーター式に進んでいくことを望んでいる人も増えました。

今では田んぼや畑に入っても土を触らないで稲を育てられる時代になっているとも言えます。しかし実際は、自分の手で土を触り、自分のカラダで感じなければいのちの様子は感じることはありません。肥料も農薬も使わないというのは、不便で手間暇かかりますがその豊かさというのは自然に触れることができるということです。

先ほどのテントウムシも、その他の虫たちもみんな其処に暮らしています。冬に血液を凍らせないでじっと越冬する様子に、今まで厳しい自然の中で生き延びてきたのだと感じると尊敬の念が湧いてきます。

かつて地球は何度も寒冷期があり、太陽が隠れて厳しい時代があったといいます。その中でどうすれば生き延びれるかを考えて、またその時代が来てもいい様にと敢えて厳しい自然に身を置き続けています。自然はいつまた変化するかわかりませんから、「危機に備える」チカラを捨てることはありません。

私たち人間は、あまりにも豊かであまりにも贅沢な暮らしが続くと危機感というものが喪失していきます。そして変化が来た時、気が付くと自然に順応できずに滅んでいきます。

よく自然を観察しては、どのように生き延びてきたかを学ぶのは変化を学び直すことでもあります。変化できなくなるとき、人類は危機が訪れますから自然をお手本に学び直しを続けていきたいものです。

子ども達に大事なことを伝承するためにも、自然に正対して畏敬をもって語り継いでいきたいと思います。

  1. コメント

    メダカを外で飼っています、この時期だんだんと寒くなってくると心配になってきます。もともと浮き草の下に隠れ、ちょっと動かそうものなら集団で移動し姿を隠そうとする姿も今は、暖め合うために寄り添っているようにさえ見えます。寒ければ厚着をしボタンひとつで暖をとるのとは訳が違います。囲炉裏をみんなで囲む姿は身を寄せ合うメダカと同じです。どのように暮らしてきたのかを改めて見つめ直していきたいと思います。

  2. コメント

    人間の「手」はものすごく敏感にできており、その手触りによっていろんなものを感じ取ることができます。実際に「素手」で触ってみないことにはわからないことがたくさんあります。また、人間の「手」は、実に微妙な力加減の調整ができたりします。見てわかるもの、聞いてわかることもありますが、この「触れてわかる」ということ、そして「触れて学ぶ」ということを、もう少し大事にしたいものです。そこに「手作業」のもうひとつの意味があるのかもしれません。

  3. コメント

    ここ数日でだいぶ寒くなってきたように思いますが、こんな風に日本にある四季は自然との繋がりを忘れさせない見守りであるように感じます。ですが実際には、そこから離れよう離れようとしているのが人間のように思います。秋は秋で、冬は冬で、どんな時も二度と無いからこそ、その時々の豊かさをしっかりと味わい感じられる心の余裕や視野の広さを持っていたいと思います。

  4. コメント

    いつまでも夏の格好では風邪をひきますが、変化に合わせて自分を変えていくという事は、実際には日々の働き方や生き方に現れるのだと感じます。いつまでも自分の我のままでは症状をこじらせて持病のようになってしまいます。風邪を悪いものとせず、持病になる前のサイン、変化の後押しと受け取り有り難く変わって行きたいと思います。

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