不便な暮らし

昨日は、カグヤでは「大切なことを忘れないDAY」として東日本大震災の出来事を振り返り、みんなで反省し知恵を学び直しました。子どもたちには、文字や言葉で教えられないものがある。体験した自分たちがどのような生き方や働き方を通して伝承していくかなどを語り合う大切な時間になっています。

今思い返しても、あの震災以降に私たちの暮らし方や働き方は大きく変化しました。むかしの田んぼをはじめたのもあの震災からです。暮らしフルネスといって、日々の暮らしそのものを変えていくことで子どもたちの大切な環境を未来へも結んでいこうとしたのもあの体験。

私が徳積財団をするのも、古民家甦生をするのも大きな影響を与えた出来事でした。

かつての先人たちは、敢えて不便さを暮らしに取り入れ常に災害に備える暮らしを実践していました。自然災害が最も世界でも多い日本だからこそ、先人たちは常に備える暮らしによって柔軟に対応できる力を磨きました。

例えば、地震などのとき日本人は世界でも最も道徳的な行動をする人が多いとも言われます。これは教育なのかといわれますが私は伝承もあるように思っています。日々の暮らし方のなかにもったいないという意識や、持ちつ持たれつや、お陰様、有難いといった謙虚な生き方。また自助だけではなく助け合い、分け合い、見守り合いなどの結びつきや繋がりがあります。

島国というのもありますが、日本人は一つの大きな家族として自然災害をみんなで乗り越えてきたともいえます。

だからこそ、日々の生活を災害に備えていくことを忘れないために日々の暮らしに不便さを持ち込みました。私の提唱する暮らしフルネスもまた同じです。

敢えて、竈や羽釜、七輪などを使い、お水をくみ上げ、お野菜を育て、手間暇をかけて古民家に棲む。そもそも古民家というものは、強固で頑固な都会のビルのようではなく脆弱で壊れやすく柔軟です。

しかしだからこそ、自然とのつながりを緩やかに感じられ、自然から感性が外れないように常に寄り添い、逃げやすく、再建しやすいようにできているともいえます。その中で暮らしていると、自然に備えることが当たり前になっていきます。

自然災害を生きるというのは、自然との繋がりをさらに強くしていくことに似ています。敢えて、自然災害の近くで暮らしその変化を取り入れることで自然災害と共に生きるという選択をするということ。

本来の災害とは、畏敬の念を忘れ謙虚さを失い、人間が欲望に負けて傲慢になることです。その状態になれば、自然の天敵にされ、人災によって理不尽な犠牲に巻き込まれていきます。

日々の暮らしに敢えて不便を味わい、不便を楽しむことが真の生きる力を育てるのでしょう。引き続き、子どもたちの未来のために暮らしフルネスの実践を磨き、伝承していきたいと思います。