人生というものは、計算通りに生きてきたようにみえてその実際は計算していないことに運ばれているものです。シンプルに言えば、それを「お導き」ともいいます。仏教では他力ともいい、日本の先人たちはそれを「ハタラキ」や「ご縁」とも呼びます。
色々な人生があって、それに他人の評価で善悪正否をしたがるものですが実際はそれは何の意味もありません。今の自分の身体や与えられた場所なども選んでいるようで、「選ばれた」という方がしっくりくるものです。
私は古民家甦生や場の甦生をしていますが、よく観察すると家を選んだように見えて家に選ばれていることがわかります。同時に場に選ばれたというものがあります。むかしの人たちはそれがよく観えていたから感謝を忘れずに家に神様をお祀りし、氏神様を崇敬したのでしょう。
現代は、計算通りに生きることがいい人生であるかのように教えこまれます。思い通りに生きることが如何に素晴らしいかなどを刷り込みます。
しかし実際の人生で、幸福を感じるのは足るを知り感謝をし、選ばれた幸運に報いるように徳を積むときに得られるものです。そしてそれは、「手放す」ことや「お任せ」すること、ご縁や今をあるがままに受け容れること、「ちょうどいい」と感じることで前進していくように私は思います。
今までご縁があった人を思い出すと、人生の道しるべになった人たちばかりでした。それは教師も反面教師もあるし、自分自身との対話が深まってどう生きたいかを見つめ直すものもあるし、様々でした。
だからこそ、如何に今に集中してきたご縁を大切にしていくか。それに尽きるように思うのです。
暮らしというのは、ご縁との暮らしともいえます。
暮らしに包まれ、見守られながらどう今を調えていくか。
今日もこれから暮らしフルネス体験に、あるご家族の方々が遠方から来庵されます。一期一会のよきご縁を味わい、ちょうどいい関係を調えていきたいと思います。
ありがとうございます。
