ぬくもりのある暮らし

今年は、年始から会社のみんなと一緒に炭を中心にした暮らしを実践し豊かな時間を過ごすことができました。聴福庵では、炭は欠かせない暮らしの道具であり炭がある御蔭でぬくもりを身近に感じることができています。

例えば、朝起きてすぐに火鉢の炭に火を入れお茶を沸かします。また朝餉もその炭を用いそのまま料理します。炬燵には炭団を入れれば一日中暖かいままです。また就寝前には、その炬燵に残っている炭を豆炭あんかに入れれば布団の中も朝まで暖かいままです。他にも、お風呂の井戸水のお湯も炭で沸かし、その風呂には炭をつくるときに出てくる木酢液を入れると湯上りもずっとぽかぽかします。また花瓶には炭を入れると花が枯れにくくなり、飲み水やお米を炊くときも炭を入れてミネラルが増え浄化されます。部屋の隅々にも炭が置かれ、床や壁にも飾られ癒しの空間が演出されます。灰になったものは、掃除用の洗剤にしたり植物の周辺にまけば土の潜在力を高め菌たちには栄養になります。燻された古民家は、抗菌効果も高くなり虫が家屋に入ってきにくくなります。「ぬくぬくやぽかぽか」などの「ぬくもりのある暮らし」はこの炭の暮らしがあってはじめて成り立つのではないかと私は思います。

冬はとても冷え込みますが、寒くても寒くはないという感じが炭のある暮らしにはあります。みんなが火鉢を囲んでお茶やコーヒーを飲みながら語り合い寛ぐだけで、炭が周りの人たちの心も融かしていくかのようです。

暖炉やストーブや空調は、部屋全体を暖めますが火鉢や囲炉裏は手元や周辺を暖めます。体だけを暖める道具ではなく、心まで温める道具がこの炭であることを私はぬくもりのある暮らしから体験しました。

聴福庵は、炭御殿のようになっていますがまだまだ炭の甦生は途上にあります。いろいろな「ぬくもり」のカタチを炭と一緒に発見していきたいと思っています。

今の時代、暮らしが失われ心が渇いて冷え切り、お金があっても権力や地位があっても、心が寒くて凍えて震えている人たちがいます。特に子どもたちが家が寒くなることで、家庭のぬくもりを感じないままに育っている子どももいます。私も幼少期に両親が共働きで家には誰もいませんでしたからその家の寒さを体験してきました。

家が寒いのが当たり前ではなく、家は暖かいことが当たり前です。そしてそこには心のぬくもりがあります。冷えてしまったものを暖めるのは自然物である炭の力を借りることが一番です。

私はこれからも炭の力を借りて冷えた心の傷を炭火のぬくもりで絆に換えて人々の心を暖めていきたいと祈ります。子どもたちが寒くて震えているのなら、私がその寒さをぬくもりで融かす炭火となりたいと願います。

引き続き、初心を忘れず家が喜び炭が喜ぶぬくもりのある暮らしの実践を高めていきたいと思います。

  1. コメント

    これまでの暮らしで炭を使うことはなく、聴福庵で炭を使うことで、その奥深さと生活に密着していたものであったことを感じます。同時に火の怖さも改めて感じるものでもありますが、それだけ大切なものを扱っていることや、ぬくもりが持つ意義を学び発信していきたいと思います。

  2. コメント

    「火」というのは、「灯り」であり「暖かさ」であり「熱」です。しかし、「炭火」には、もうひとつ別の「温もり(ぬくもり)」というものを感じます。「温もり」がなくなってから、みんなの心がバラバラになりつつあります。「温もり」とは、「安堵感」でもあるでしょう。暗いのは怖く、寒いのは辛く、冷たいのは寂しいものです。「荒廃した心を耕す」とともに「冷えた心を温める」そんな仕事をしたいものです。

  3. コメント

    エアコンの暖かさと炭の暖かさは明らかに違い、聴福庵でもついつい、エアコンの近くではなく炭の周りで暖をとっていました。また、炭に息を吹きかけ、火を起こす動作は、自然と炭と一体となる素晴らしい体験だと感じました。自他共に、心に息を吹きかけられる自分でありたいと思います。

  4. コメント

    暮らしを中心にぬくもりのある家となり、そして会社はその家のような団欒の雰囲気の中で共に働くことが出来るような環境となり、一家の家紋を背負うような大きな目的の為に生き方を通して仕事をしていく。理想だと言われるかもしれませんが、理念を優先しぬくもりある経営をしている企業を幾つか観てきました。まずは家から、そして自分の心の中にあるぬくもりをどんな時も絶やさないようにしたいと思います。

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