宿坊ではご祈祷をするときに法螺貝やおりん、金剛鈴などの音を鳴らします。これは音に由る振動によって、場を調えて感覚を目覚めさせるためにも用います。日常と非日常、また特殊な周波数は振動数を高めて心を落ち着かせます。この陰陽調和、強弱調和は、時には驚覚し、また時には歓喜になります。
音による説法というものは、人間の心に深く染み入ります。言葉や喋りで理屈で理論で説明するよりも、音によって氣づいていくというのが真理ということでしょう。
今年の初めにスリランカに訪問した時も、お経を音で歌う僧侶の姿にいにしえの仏陀の雰囲気を感じました。仏陀は、その話ではなく音によって人々の心を素直にしていきました。
これは自然のせせらぎの音や、新緑の木々の音、あるいはしとしとと落ちる雨の音、杜の静寂の風音などあらゆる音によって人が心を目覚めさせることに似ています。
法螺貝は特にこの驚覚の徳があります。以前、大きなゴングを宿坊で鳴らしていただいたことがありましたがあの振動も心身に響き数か月間はずっと鳴り続けていました。
法螺貝もまた、その時々の心境や場面によってその効力の発揮する期間が変わってきます。いつまでも心に遺る法螺の音は、五感をはじめ五臓六腑を癒し続けます。
最近は、毎日のように貝に触れる日々ですが貝のもつあたたかさやぬくもり、優しさをはじめ清らかさや逞しさを感じる日々です。
真言を唱えるのは、宗教だからではなく音だからです。
私は色々と比較されたり宗派や宗教に巻き込まれるのが苦手です。暮らしの中で、自然に溶け合うように自然と一体になった人間があるがままに智慧を学びその生活の音を出す。ここに真の伝承を実感します。
別に宗教の真似事をしたいわけでもなく、先人たちやご先祖様を軽んじるわけでもなく、純粋にそのものから学び、そのものから導かれるものに従って自然体で歩んでいきたいと思っています。
分類わけできない存在を異様がる人もいますが、分類などない絶対界にいって自由自在に遊んでいきたいと思います。
のうまくさんまんだぼだなんあーん。
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合掌🙏