昨日は、家族みんなで誕生日会を行いました。日頃の感謝を込めて、それぞれに料理を持ち寄りみんなで食事を楽しみました。両親は両親らしい畑の滋味や日頃美味しく食べられるようなものを。子どもたちはそれぞれに今の心境や環境、そして得意としているものを用意しました。私はスープやサラダ、ご飯などでしたがそれぞれに持ち味をを活かした愛情あふれる料理でした。
ふと考えてみると、普段何気なくみんなで一緒に食事をする時間ほど豊かなものはありません。家族がいるというのは、一緒に食べる相手がいるということでもあります。一緒に食べる相手がいるだけで食事は美味しくなります。家族との思い出の多くは、この食事を共にする中に存在するように私は思います。
思い返してみると、会社の経営でも学校生活でもみんなと食べるたびに一つにまとまっていきました。みんなで食べるために協力して場をつくり、調え、分け合い、共に過ごし、片づけました。
きっと太古のむかしから人類はこの記憶が本能に刻まれ、食事をするということが単に栄養を取るだけではないことを知っていたように思います。
たとえ文化が異なっても、民族が異なっても、言葉が通じなくても一緒に食事をすることで一つになります。
今日もこれから亡くなった義父の49日の法要で親戚一同みんなで集まり会食をします。故人を偲び、ゆったりと穏やかな気持ちでみんなで食事の時を過ごします。
食事というのは、単に食べることが目的ではなくみんなの心を一つにするためでもあるのです。
食事は私たち人類にとってもっとも身近な生活文化であり信仰であり智慧そのものです。丁寧に伝承して未来へと結んでいきたいと思います。
