手心

昨日は、法螺貝の削る作業を長時間行いました。天然物なので、毎回どのように削り空気を通すかで判断を迷います。少しでも気を抜くと削りすぎたりします。削らないようにしても判断を迷いますし、削っていても判断を迷います。迷いながら削りますが、その方が慎重で大胆にできるので結果としては問題なく行えます。

手加減や手触り、手心など手にすべてを集中します。心は手から離れません。手というのは、相手があってその手を使い分けます。例えば、守っ手という手、観て手という手、治し手という手。あらゆる相手の状況に合わせて手を使い分けます。いわゆる、使い手次第ということです。

使い手とは、それを使う人によるという意味です。使い手が巧であれば巧みに使います。使う人次第で、道具や相手との関係も変わってくるのです。

手練れという言葉もあります。これは熟達した人のことをいいます。

何度も経験や研鑽を積んだ人の手は、同じ手ではないということです。そして手は同時に心も鍛錬して習熟していきます。手をどれだけ大切に使うかは、その人がどれだけ心を大切に使うかにも由ります。

心は手を使いますし、手は心を使います。つまり心=手であり、手心というのは本来は真心をのものを顕す言葉なのかもしれません。

手心を加えるというのは、手加減をすることや寛大に扱うことをいいますが心は常に調整をし調和をしようと働いているのかもしれません。

法螺貝との調和を探しながら、一期一会の貝として甦生していきたいと思います。

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