真の信頼

信頼には、相対的な信頼と絶対的な信頼があるように思います。信頼の対義語は不信です。相対的に信頼を語る時は、同時に不信や疑念、裏切りなどがでてくるものです。それに対して絶対的な信頼とは何か、それは丸ごと信じる、主体的に信じ切るときに使うものです。相手が存在するのではなく、自分がどうあるかを求めていく道です。

信じるというのは、成長していくものです。継続して信じ続けていくと、それが信念と呼ばれるものになります。それは単なる思い込みの継続ではなく、生き方の継続です。自分の今、一瞬一瞬の生き方で信じるを続けていくことです。そうすることで、きっと丸ごと善いことになると信じる力も育っていきます。

その信じる力が醸成されていくと、少しのことがあっても動じません。きっとこれもいいことになると信じることができるからです。諺にあるような、人間万事塞翁が馬の境地でしょうか。禍福一円で丸ごと循環してよいことになると思うのです。

ではなぜそうならないのか、それは感情があるからです。感情は思い込みなどとつながっていて信不信を往来して揺さぶってくるものです。頭で考えていることに呑まれていくと、真の信頼とは程遠くなります。自分を生きるという自立の実践は、自分が主人であることを忘れないでいるということです。

これに対して依存というものがあります。依存というのは、自分を信じるということを忘れている状態のことをいいます。自分以外の外側に意識も感情も囚われ、地に足がつかないようにおぼつかなくなるものです。これは根が大地に張り巡らされているように成熟していないともいえす。

大樹の成長を観るように、長い時間をかけて自分の根を自分の足元に広げていく。その場所で花を咲かせ、その場所で実をつける。いくら他の木を羨ましがっても、自分の木は自分の場所で育ちます。

拠って立つというのは、自分を生き切ることですがまさにそれが真の信頼に結ばれていくようにも思います。真の信頼を持つためにも、自立のテーマを忘れずに取り組んでいきたいと思います。

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