立ち止まるというものがあります。これは動いているのを一度静止してみるということです。静かに止まる、これを座禅では止静とも言うといいます。止静鐘がなり、立ち止まるのです。
では何が立ち止まるかということです。一つには、身体的に動かなくなるということ。止まるというのが動く止まるの総体的な状態です。動いているから止まるがわかり、止まっているから動くがわかります。お互いに何が止まり、 何が動いているのかを知るのです。
以前、私は足を骨折して(今もでずが)止まる機会を得ました。じっとして動かない日々を静かに暮らしていると、周りが動いていることがよくわかります。余計な周囲の動きに惑うこともなく、迷いもない。じっとするというのは、実は他力を活かすための方法にもなり、船の舵取りをするためにも大切であったことがわかります。その時は、今の自分のできることややりたいことを深く見つめ、冷静に判断基準を研ぎ澄ます機会を得たように思います。
そしてまた深めていくと、もう一つの境地もあることに氣づきます。
それが止まるというのは、原点というものもあるということです。別の言い方では初心とも言うべきものでしょう。立ち止まることは、初心に帰るということ、原点に立ち返るということでもあります。
心を静かに調えるためには、立ち止まる必要があります。先ほどの座禅の止静と同じです。そのうえで、これまでの人生を振り返り生き方を見つめ直し、これからどうするのかというものを定めていく大切な時間。
つまり立ち止まるというのは、心と体、精神をはじめ温故知新して甦生する大切な期間ということになります。もっと言えば、生まれ変わるために立ち止まるのです。
生まれ変わりというのは、立ち止まることではじまります。五十にして天命を知った孔子は、それからどう変わったのか。きっと、何か今までに聴こえないものが聴こえるようになったのでしょう。そして耳順うとなったのではないかと。
人生というのは、真心や至誠で歩むと天恵といわれるようなご縁に巡り会います。感謝を忘れずに丁寧にかんながらの道を味わっていきたいと思います。

コメント
立ち止まる勇気!
納得です