歴史の偉人たちのことを深めていると、そこには一つの共通の実践があることに氣づくものです。それは自分の与えられた運命から逃げないということです。ある人は、飢饉や飢餓、そしてある人は、暴力や尊厳、またある人は汚職や腐敗、あらゆるものに遭遇して迎合せず、正面から素直に向き合ってそれを乗り越えるために最期まで諦めずに努力したその結果として名が残り、思想が語り継がれているということです。
つまり逆境に打ち克ち、自分の天命を生きたということでしょう。
これは誰にでもできることですが、誰にでもできないことでもあります。なぜなら、その人にしか与えられていない役割というものが存在するからです。つまりその人にしかできないことだからでもあります。他の人にはできず、その場、その刻、その組み合わせが一期一会だからです。
そしてその境地から逃げなかったその一つの答えとして、生き方があり志が場に遺ります。
場というものは、志を生きた証であり、その余韻がいつまでも生き続ける記憶装置のようなものです。
私は場の道場を実践し、場づくりを天命にして暮らしを調えています。これは何かの利益を生むためにするのでもなく、誰かにわかってほしいわけでもなく、特段、意味もなく価値もなく、無目的ともいえます。
しかし場が発する声をよく耳を澄まして聴き、その場に応じて素直に従い自分の全身全霊を盡していくとそこには確かに「いのち」というものが連綿と流れていることに氣づきます。
私たちは本来は水そのものです。流れるように生き、そして変化しながら道を歩み続けていきます。それがいのちの真理と結ばれ、徳が積まれ続けていくのです。
だからこそ大切なのは、自分の場を守ることです。
引き続き、自分の場を守りながら子孫のために流れを清め続けます。

コメント
土の中に浸透していく、命の水のようにしみわたります
ありがとうございます