時務を識る者は俊傑に在り。

「時務を識る者は俊傑に在り。」という言葉があります。この言葉は『三国志』蜀書の諸葛亮伝の裴松之注に引用された『襄陽記』の中に記される言葉です。

具体的には、まだ弱小であった劉備玄徳が司馬徽(水鏡先生)に天下の情勢を尋ねたときの返答の言葉です。

正確には「劉備、世事を司馬徳操に訪う。徳操曰く、「儒生俗士、豈に時務を識らんや。時務を識る者は俊傑に在り。この間、自ら伏龍・鳳雛あり。」劉備、問う、「誰となす」と。曰く、「諸葛孔明、龐士元なり。」と。

意訳ですが、劉備が水鏡先生に真摯に尋ねる。今まさに私はどのうようにしてこの天下に在ればいいか、どうか教えてくださいと。水鏡先生が言う。儒学者の私に聞かれても知識は答えられてもそれは教えることができません。もしそれができるとすれば「今を知る」ものです。そのような人物こそ俊傑と呼ばれるものです。この地に俊傑は二人います。それが諸葛孔明と龐士元ですと。

俊傑とは何か、これは時代の兆しを知り、今を識るもののことです。

この今を識るとは何か。

私の言葉では、日々を新たに生き切る人のことです。つまりゼロベースに物事を常に刷新して洞察し続けられる人。新しい自分を常に創り続けている人ともいえます。

人間は、過去によって今を概念で操作していきます。それを思い込みといいます。過去の思い込みによって今を観ています。しかし、本当は過去からの今は真の今ではありません。

真の今を識るには、今までを少し隣に置いて常に今の時の中に棲んでいなければなりません。だからこそそれができるのが「龍であり鳳」なのです。

この話は、人物の話に聴こえますが易経の話です。

龍や鳳は、時を識ります。

今がどのような今か、今の中に存在します。時とはそもそも今のことです。道元禅師はこれを而今ともいいました。つまり龍は今なのです。

文字や知識で今を知ると龍が観えなくなっていきます。だからこそ、知識ではなく壮大な循環に身を置き仙人のように悠久の流れに静かに心を委ねます。

時代は変化して已みません、そして時勢は今に顕現しています。

今を識るには新しい自己で居続けるという、まるで変化と一体になっている融通無碍な境地の体得があります。絶対的な主体性、自然の境地です。

果たして諸葛孔明がそうだったのか、それはわかりませんが自分も龍や鳳の如く刻の徳を磨いていきたいと思います。

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